seed3-5
すっかりニコルの音楽に聴き入って居た達は、演奏時間が終わってもまだ脳内に残るメロディを各々反芻させていた。 彼の指から作られた温かく美しい音色の世界の中から、暫くして、やっと一人ひとり勿体無いと言わんばかりの顔で席を立つ。 彼等以外の周りに居る客の反応を見ても同じような面持ちが続く。 きっと、ニコルの細く綺麗な指から紡がれる音はその場に居た誰もを魅了したのだろう。 会場内では不必要な言葉は紡がれず、けれどしっかりとした満足感が辺りを包んでいるのが分かる。

音楽をそれほど知らないだったが、ニコルのピアノには心の奥底から感動させられた。 こんな風な、なんとも言えない感情を与えられて思わずぐっと喉を鳴らせる。

逸る気持ちを伝えたくてニコルの居る楽屋へと急ごうとしただったが、 隣に居たアスランがコートを羽織りこちらに視線だけを寄せた事に疑問を感じた。

『アスラン?』

が立ったようにイザーク達も次々と席を立ち楽屋へと続くドアへと向かい出した。 それなのに動かない彼を見て、は首を傾げる。 困ったように笑ったアスランはコートの襟を直して眉を下げた。

『・・・ああ、地球での仕事も色々忙しくてさ、もう戻らなきゃ』
『帰るのか?』

イザーク達も動かないアスランに気付いたようで、ディアッカが一番に問う。
残念そうな表情はこれ以上の言葉を必要としていない。申し訳なさそうにするアスランは小さく頷いた。

『そっか、折角会えたのに残念だね』
『・・・ごめん』
『悪くないのに謝らないで』
『ニコルには直ぐ帰るって伝えてあるから』
『うん・・・。ね、アスラン、』
『ん?』
『私、もう少し話をしてみたかった。また会いたい』

「会いたい」なんて言葉を出されたアスランは、目をぱちくりとまたたかせた。
この文明の発達した時代、いつだって通信機器を通して顔を見たりメールを送ったり出来るのに、会いたいだなんて。 まだパチパチとする瞳で純粋すぎるほど真っ直ぐな視線を見返せば他意が無いことは分かる。 分かる、分かるのだが、如何せん彼女からそんな風に言われるとは思ってなかったもので。

『ま、また会いに来るよ』

時間と気持ちが上手く纏まらなくて、アスランはそれだけ言うのがやっとだった。

『うん』
『それに、約束もまだだし・・・』

そして付け加えるようにアスランは小さく、それは小さくに聞こえないような声を漏らした。



― 戦争が終わったら、また何処か行こうな ―
 ― 本当ですか!?絶対、約束ですよ? ―
― ああ。絶対だ ―




まだ戦争中だった頃、唯一の休暇を貰えたあの日、同じように彼女と並びあってニコルの演奏を聴いた。
その終わりに、また出かけようと約束をして、それは未だ果たされずに居た。 総ての記憶を失ってしまった彼女は勿論そんなちっぽけな約束を忘れてしまっているだろう。それでも構わない。 彼女が自分との時間を望んでくれるなら、いつか二人で何処か繰り出しゆっくりと過ごしたい。 それに、彼女の抜け落ちてしまった記憶分とは言わない。 少しだけでも自分が力になって、先程見たあの寂しげな表情を、新しい思い出で埋められたら良い。

『独占欲強いな、俺・・・』
『何?アスラン』
『い、いや』

一人、苦笑いをするアスランに、は首を傾げたが、その疑問は首を振るアスランに一掃されてしまった。
言える筈が無い。こんな心の内を。

も今度オーブに来ると良い。俺が案内するよ』
『本当に?!』

話題を変えようと、アスランは咄嗟に口をつく。 咄嗟だったがこれは嘘ではない、期待を込めた言葉。 来てくれたら嬉しい。キラやカガリの居る世界を、が守った地球を、オーブを見て貰えたら嬉しい。
そのアスランの言葉が思いの他響いたのか、は満面の笑顔を浮かべる。

『うん!絶対に行くね!』



そんな彼女の表情を見て、直ぐ隣に居たイザークは眉を顰めた。 記憶を無くす―それよりももっと前から思っていたが、アスランはに自然な笑顔を作らせることが上手い。
も、自分よりアスランと居た方がきっともっと多くの笑顔を作れただろう。 これからも、作れるだろう。けれど、

『無駄口叩いてないで早く帰れ。シャトルの時間に間に合わなくなるぞ』

だからと言って譲るつもりなんて毛頭無い。
自分がアスランのように、そう出来るようになれば良いだけの話しだ。

『・・・そうだな』
『もう、急かさないでよ。 だいたい、イザークなんか私が行きたいって言った所の見学すらさせてくれないじゃない』
『なっ!それとこれとは違うだろ!そもそもあそこは遊びで行くような所じゃ―・・・』
『ハイハイ』
『フン』

全く本当に、鈍い、鈍過ぎる。 此処に居る男二人の気持ちに欠片も気づかずに居るなんて。 あの頃は戦争中でそんな余裕が無かったかもしれないけれど、今は別だ。 の面倒を見る、と言う立場上に本音を言わないでいるが、完璧に隠しているつもりはない。 こんなにも熱い視線を向けているのに、それを分からないのは根っからの鈍感だからなのだろう。 大体彼女がこれからも笑顔を作れるようにイザーク自身が変わろうとしているなんて、 ディアッカに言わせればディアッカが議長になるくらい奇跡に近い事なのに。

あんまりにも無邪気にアスランへと向ける笑顔に、イザークは諦めに似た溜息を零す。



『じゃあ、俺行くよ』
『あ、うん・・・。またね』
『ああ。皆も、元気で』

腕時計に視線を落とし、そろそろ急がないと、とアスランは眉を下げて笑った。 少し後方に居たディアッカとラスティが「またな」とか「またメールする」とかいつもの笑顔を向け、 それに答えるようにアスランが頷いて手を上げる。 人の往来がまばらになったホールで達はアスランが扉の向こう、更に影が見えなくなるまで真っ直ぐな瞳で見送った。



『・・・寂しいね』

じゃあニコルの所へ行こうか、とラスティが言い、四人はぞろぞろと足を動かし始めた。
そんな時ポツリ、イザークの隣を歩いていたが小さな声で呟く。

『アスランやイザーク、それに皆で一緒に居たいって思うよ』

視線をにやると、何とも言えない微笑みを浮かべたがイザークを見る。 記憶と気持ちの狭間に出来た感情を受け止められず複雑なんだろう。 けれどこれは彼女の本当の気持ち。例え忘れてしまっていても、消せない記憶。

『・・・感じてるのかもしれないな。お前の中の記憶が・・・』
『え?今、何て?』
『いや・・・』

今度はイザークが聞こえるか聞こえないかの声で呟く。
本当に、何が正しいのか分からない。本当は、ちゃんと総てを教えてやるべきなのかもしれない。 記憶を忘れてしまった事はが望んだ結末なのに、釈然としないのはどうしてなんだ。



そんな事、今考えても分からない。イザークは顔を二回横に振ってその思慮を振り払う。
そして溜息と共に笑顔を作った。取り合えず、先ずやる事は、

『今度、見学させてやる、・・・と言った』
『見学?もしかしてあの中を?何で?急に??』
『・・・煩くするならこの話は無しにする』
『待って!静かにするから!』

足早に楽屋へと向かおうとするイザークの後ろを、急ぎ足のが追う。
今はまだ、このままで良いのかも知れない。彼女が笑顔を絶やさないこの距離が、心地良いのかも知れない。



そして、一緒に住んでいてもいつも見える場所に居ても、彼女の心はまだ分からない。
遠く離れている大敵アスランに負けたくないと再確認したのは、内緒。