seed3-4 居心地の悪いエントランスを後にしようとは近くにあったドアから外へ出た。
無機質なドアはホール内へ続いているのだと思っていたが其処は中庭へと続いていたらしく、 噴水の見える緑の整えられた場所で上部から光りが差し込み眩しく輝いていた。 はほぅ、とその場で固まったようにぎこちなく周りを見回す。キラキラとした緑は、それくらい美しかった。

『あ、』

が小さく声を漏らす。先程まで肩の上で羽をゆっくりと動かしていた蝶だったが、 ひらりと頭上へと羽ばたき太陽の光りが嬉しいかのように主人の周りをくるくると飛び始めた。 がつられて木々から降り注ぐ心地よい風に向かって行くと、不意に背中に優しい声がかかった。



『・・・?』

きょとんとした顔で振り向けば、アスランと呼ばれた青年が落ちる光に目を細め立っていた。 やんわりとした笑顔はこの空間のように穏やかで、魅入ってしまったの身体はほんの一瞬だけ動けなくなる。 けれどぱちくりとまたたきをして自我を取り戻し、首を傾げてアスランへと振り返った。

『・・・えと、イザークとのお話はもう終わったの?』
『アスラン』
『え?』
『俺はアスランだ』

名前を呼ばないに、アスランは変わる事の無い笑顔で歩み寄る。
イザークに全てを聞いたアスランだったが、聞いたところで心変わりなど何一つ無かった。 イザークが心配していたそれよりも、を想う気持ちは深かったからだと自分でも分かり少し可笑しかったくらいだ。 それよりも、近くに居て支えてあげられなかった月日が惜しいと思う。 そして、プラントに戻れない問題があったとは言え、 こんなにも長い間本当に支えてあげたい人の傍に居れなかった自分に、些か腹が立った。

『アスラン・・・。「優等生」の・・・』

当たり前だがそんなアスランの心情を知らないは「ああ」と一人頷いては目の前の青年の顔をまじまじと見た。
そしてクスリと笑うと、その表情はまるで子供のような笑顔へと変わっていく。

『・・・優等生?』
『ああ、前にね、「優等生と言えばアスラン」ってイザークが口にしてたから』
『俺?優等生だって?イザークが?』
『そう、何となくだけど、分かる気がする』

そうか、そうなのか、とはアスランの顔を興味深げに見るのを止めなかった。 イザークが優等生だと言った相手なんてそうそう居ない。 彼にとってディアッカやラスティは仲の良い友達だし、どちらかと言うと悪友だ。 有能だけれどユーモアや悪戯心満載の彼等は優等生とは程遠い。 一人だけ、ニコルの事は口に出して認めているようだが自分の知らない誰かをそう言ったのはアスランが初めてだった。

『そ、そろそろ開演だ。行こう。イザーク達も待ってる』

余りにも顔を見られている緊張感からか、硬い声を出したアスランはの瞳から逸れるように顔をホールへと向けた。

『そうだね。迎えに来てくれて有難う』

実は、イザークとの話をしている途中にがドアの向こうへと消えて行ったのをアスランだけが気付いていた。
を追って来たのは色々と話をしたい気もあったが、もう時間が無い。 席へは自分が連れて行く、とイザークへ我侭を言い彼女へと向けた足は、 知らぬ間に駆け足になっていて今の心情を表す。 だから今、こうして居れるほんの少しの時間はとても大切に感じる。 だが、結局は「ほんの少しの時間」。残念だがもう彼等のもとへを返さなくてはならない。



アスランが小さな溜息を気付かれないように漏らしている中、 は射す光りへと顔をあげると、それを知ってかマイクロユニットの蝶がひらりとの肩へと帰ってきた。 アスランはニ、三度目をぱちくりとさせたが、ゴクリと一つ息を呑んでへと問いかける。

『・・・それ、いつから君の傍に居るか覚えてる?』

まさか、今日までの周りを飛んでいるだなんて思っても見なかった。
激動の日々を過ごしてきた彼女は、まだこんなものを持っていたのか。

『この蝶?ううん。でも大事なものだって事は知ってる』

嬉しい、その一言に尽きる。
アスランの顔は自然と綻び、抑えきれない感情をどう留めようかと目を泳がした。 勿論そのマイクロユニットは丁寧に作ったし、あの頃の彼女を意識して良い材質のものを選んだ。 見ればにぴったりだろうと思った真白いボディは、今でもあの時と変わらず光り輝く。

『昔、俺が贈ったんだ。・・・君に』
『え?そうなの?』
『まだ持っていてくれて有難う』
『やめてよ、御礼なんて。あのね、私この子と居ると安心するの。 だからお礼を言いたいのは私の方だよ。有難う。 きっと、「前の私」は大事だったんだと思うよ。アスランの事』
『え?』

何て答えたら良いのか、分からない。
さらりと口にしたその大事、とはどう言う意味なのだろうか。
友として?仲間として?それとも、もっと嬉しい感情を持ってくれていたのか―?

でも、今となってはそれがどう言った感情なのか分からないのだろう。
ただ、こんな状況でも大事だと本人が知っていてくれているのは幸いなのかもしれない。
自分達の間はゼロじゃない。ならば何も出来なかった一年以上の歳月も、これから埋められる気がする。



『・・・アスランも、思い出して欲しいよね』
『え?』

しかし、突然ぽつりとアスランの耳へと微かに届くような声では呟いた。
何を言うのかと視線を向ければの瞳は伏せ目がちで、無意識な手はスカートをぎゅっと握っている。

『俺は・・・』
『良いよ。ちゃんと言って』

目を合わせないに、アスランは何と言って良いか、正直分からなかった。
急に何を言うのだと思ったが何かを秘めている横顔には言葉を続けられず息を呑む。 今目の前に居るは、前と変わっていない。むしろ純真無垢な瞳は安心すらさせられた。 だが、こう話す事で彼女の心の中に思い詰めるものが一気に吐き出されたかのようでの顔は鮮やかな色を落としてしまった。

『本当は知ってるんだ、私。皆が昔の事言わないようにしてるの。 皆同じように困った顔して・・・でも優しく笑うから、何にも言えなくなる』

そう言うも、同じように困った顔をして笑った。
分かっているんだ。イザークも、ディアッカもニコルもラスティも、皆自分には言わない何かを持っているのを。 けれど隠す事で自分を気遣っているのも分かる。 だからこそ、辛いんだ。優しい彼等をあんな顔にさせるのは。

は、思い出したいのか?』

視線を落としたの顔を覗き込むかのように、隣に並んだアスランが問いかける。
その言葉に一度何処かを見たの瞳だったが、また低く落ちた。

『うん。ちゃんと思い出したら、皆が本当の笑顔を見せてくれるかもしれない』
・・・』

アスランは、抱えるの思いを汲んだ声を零す。
なんと、イザーク達が思っている以上に本人は自分の状況を理解しているようだ。 けれど本当の事を伝えられないイザーク達と同じように、彼女も本当の思いをイザーク達に伝えられないのだろう。



でも、それは相手を信用していないからじゃなくて。



『・・・ゆっくりで、良いと思うよ。皆は「昔の君」じゃなくて、「今の君」を見てるんだろうから』
『今の、・・・私?』

ふ、と笑みを漏らしたアスランに、は驚きを含んだ顔を上げて視線を合わせた。 こんな事を言われて意外だったのだろうか。 ぱちくりとさせた瞳は次第にあちらこちらを見て思い当たる節を探し始めた。 それを見たアスランの笑顔は自然と広がり、思わず眉を下げてしまった。

『大切に、されてるんだろ?』

の探している核心へと背中を押すように、アスランは穏やかな声をかける。
暫し考えただったが、小さな声を出してちょっとだけ頷いた。

『・・・うん』
『「今の君」に笑ってくれるだろ?』
『・・・うん』
『じゃあ、それがあいつ等の本当の笑顔だ』
『・・・そうかな』
『そうだよ。俺も、あいつ等も、嘘をついて君と向き合ってるわけじゃない』

そう言った瞬間、の瞳がぐっと力を持ったのが分かった。
その表情はすぐに戻ってしまったけれどあの顔は何かと結びついた時の顔だ。 分かってくれれば良い、先ずは知ってくれるだけで良い。 自分達はただただ、を大事にしたいだけなのだから。

『・・・有難う、アスラン』

そう言ったは照れた笑みを咲かせる。
優しくしてくれるイザーク達の顔を、しっかりと思い出しながら。



ちゃんとアスラン、帰って来ないなー。 なぁ、イザーク。お前あの後アスランに任せたんだろ?行き先は知ってるか?』

その頃、既に会場ホールの席に腰掛けていたイザーク、ディアッカ、ラスティの三人は 今日の演目を確認するかのようにパンフレットに目を通していた。 まだ帰らない二人の所存を聞こうと、ディアッカは左隣に座るイザークをチラリと見る。

『さぁな』
『さぁな、って・・・』
『このまま二人してどっか行っちゃったりして』
『おいっ・・・!ラスティ!』

冷静な顔をしている割には刺々しい物言いをするイザークを知ってか知らずか、 ディアッカの右隣に座るラスティはいつものようにおどけて見せた。 ディアッカが隣に居る事でイザークの表情が見えていなかったのなら仕方ない。 けれどここで怒らせては、とディアッカはイザークの様子を慎重に伺った。

まあ、一年も前ならどなりちらしてアスランに突っかかっているだろうけれど、 流石に色々経験したイザークは大人な態度を取れるようになっていた。 なんとそれは誰に関しても、だ。 だけじゃない、多くの部下を持つようになってから内面が更に磨きがかかった気がする。

『・・・でも、黙っててもそれはそれで怖いな・・・』

ディアッカは苦笑いを浮かべては一人ごちった。 大人になったとか何だかんだ言っても、 最終的にいつも爆発するイザークの相手をするのは自分だと決まっているからだ。



『ゴメン!遅くなっちゃった』

ディアッカが肩を竦めてパンフレットに顔を隠した時、通路側から明るい声がかかった。 だ。いつも通り鮮やかな笑顔で、イザークの隣にそれとなく腰掛ける。 イザークはパタリとパンフレットと閉じてを見た。 そしてそのまた向こうにアスランが座るのを見届けると硬く閉ざしていた口を開いた。

流石に前ほど大声で叱る事は無いだろうがイザーク特有の冷たい言い方をしないように、と 隣に居たディアッカは出番が来ても大丈夫なよう覗き見る。

、何処迄行っていた。長く離れる時はちゃんと俺に・・・』
『うん。だからゴメンって、イザーク。でね、アスランあのね、』

しかし、はイザークの話半分でアスランの方へと向いてしまった。
ただ顔を向けているだけなら良い、でも今はほぼアスランへと身体を向けてしまって まるでイザークを顧みる様子が無い。 いつもならイザークが怒っている事も分かるのだろうが、 どうやらアスランとの会話をする嬉しさにそれも気付いていないのだろう。

『あ〜あ・・・』

イザークの不機嫌さにラスティも気付いた。 ディアッカとラスティは互いに目を見合わせて顔を顰める。
視界に映るイザークの手に握られたパンフレットは、痛々しいほど強く握り締められていた。



『アスランは音楽に興味を?』

イザークの不機嫌も見えないは、先程と変わらずアスランへと話し始めた。

『いや、音楽とか絵画はまるで駄目なんだ』

アスランと自分も仲間だったとアスランから聞いたが、その言葉は案外自然に受け止められた。 話し易いのは彼が過去の自分を知るからなのだろうか、 それとも過去の自分が、記憶の何処かにアスランを思い出し安堵しているからなのか。 確かにイザーク達と居るように自分が自然で在れる。 何よりもその笑顔。自分をそのまま受け止めてくれるアスランの笑顔に、は思うまま話した。

『以外。立体的なモノを作るのはあんなに上手なのに』
『芸術って抽象的過ぎてよく分からないんだ。 ニコルのピアノが上手だとは知ってても、どう上手いのか俺には分からないよ』

アスランの困っている顔を見ては目を細めた。 頬をかくアスランは「音楽は分からない」と言っていても幸せそうな表情をしている。 それは、これから奏でられる演奏を楽しみにしているんだろう。 きっと、大事なニコルから紡がれる、綺麗な音色を心待ちに。



『じゃあ、今度は寝ないでちゃんと聴いて下さいね』
『寝るって。あ、あれはニコルのピアノが上手過ぎて―・・・』

が悪戯に笑顔を向けると、顔を赤くしたアスランが無意識に右手で顔を隠した。 「アレ」は確かに失敗だった。 折角プライベートでと共に出かけられた唯一の時間だったのに、 曲の合間に転寝どころではなく、完璧に最後まで寝入ってしまっていたのだから。 おまけに閉演となって起こされた。 曲を聴かず寝ていたことも、きっと間抜けな寝顔もしっかりと見られ、自分にとってアレ以上の大失態は無い。が、

『・・・え?』

あまりにも普通にが言うものだから、あまりにも普通にアスランも返してしまった。
けれど、ふと気付き眉を寄せ身体をに向かせる。

『・・・、今、・・・君は何て言った?』
『・・・寝ないでって、・・・・あれ・・・?』

二人の動きは止まり、視線だけが交じる。
不自然を感じたのにどうしたら良いのか考えているうちに、開始ブザーとともにホールの照明が落ちていった。