イザークにとって、記憶を持たない自分には繋がるものがもう何も無いのに、彼は気に留める事もせず反対に寛大な心で隣に居てくれる。 友達でも、ましてや家族でもないのに何も持たない自分に住む場所を与えてくれ、支え、優しく笑い、時には叱咤してくれる。 どうして自分を、と聞いた事もあったが「大事な仲間だから」と、あの一際綺麗な瞳で真っ直ぐに答えてくれた。
はイザークを乗せたエレカを見送る。門を出れば日の出る方向へと伸びた道がキラキラ光り目を細めた。 幸せ、とはこう言う事を言うのだろうか。 記憶は無いがまるで初めてこんな気分を知ったような感覚になり、は胸に手をあてて小さく息を吐く。
暫くしてエレカが見えなくなり、家の中へと戻ろうとしたが振り向くと、足元に違和感を感じた。
『・・・あれ?IDだ』
爪先に当たったのは、IDの入ったケース。 拾い上げ確認すると印刷された写真にはイザークの顰め面がある。 いつもながらの顔だと思ったはプ、と噴出したがそこで動きを止めた。
『・・・って、これが無かったら駄目なんじゃないの?』
たった一枚、小さなものだが、イザークが常に身に着けていたのを思い出したは、あれ?と首を傾げた。
『どうした?イザーク』
その頃、イザークは身辺を満遍なく触りいつもの感触を探していた。
本来なら胸ポケットにあるはずのものが、何処を触っても入っていない。 送迎のエレカにも足を運んだが、自分が座った以外の場所を汲まなく探しても、周りを見渡しても落ちてはいなかった。 と、言う事は車に乗る前に落としたのか、それとも元々家に忘れていたのか。 車に乗る、と言う動作しかしていないのだ。落としたところは限られている。 イザークは不思議そうに自分を見るディアッカに、頭をかいて振り返った。
『・・・忘れた』
『イザークが忘れ物?珍しいじゃん、何を?』
『IDを』
『・・・マジで?』
『マジだ』
『お前、今日は新兵の入隊式だぞ?』
『分かってる』
普段なら、指紋認証や音声認証、瞳の虹彩による個人認証と言った生体認証で済むのだが、今日と言う式日には軍の要人も来る。 ザフトのIDは身を提示するもので必ず持って居なければならないものだから、流石のディアッカも焦りを感じ笑い飛ばしたりはしなかった。
『毎朝新婚ごっこしてるからボーっとしちゃったんでしょ?』
『新婚ご・・・っ!?殴られたいのか、ラスティ!』
後ろから悪戯に笑うラスティへ、イザークは殴る気の無い拳をあげて威嚇する。 ムードメーカーでその場を和ませてくれる彼だが、些か調子ノリな所があり、それは時として場を選ばない。 イザークはあげた自分の拳から光りを感じ、チラリと視線をやると腕時計が見えた。
『余裕のある時間に出て来てても、流石に取りに行ってたら間に合いませんよ?』
イザークの考えている事が分かったのだろうか。今度は大人しく過程を見ていたニコルが心配気に声をかける。 確かに、いつも余裕を持って家を出てきてはいるが、今から家へ行ってこちらへ帰って来る事を考えると、どうしても式までに時間が足りない。 しかしこのまま此処で突っ立っていたとしても、何も変わる事は無い。 イザークは何故今日に限って忘れてしまったのだろうと自分を責めたい気にもなったが、そうしていても何も変わらないと顔を上げた。
『家にあるかもしれない。・・・に連絡する』
そう言ったイザークが携帯を手に電話をかけると、案の定IDは家にあったようだ。
もイザークがかけた電話で、用件が何だか直ぐに分かった。大概どんな時も必要なのがIDだ。無くて困ったに違いない。
しかし、はそれを分かっていてもイザークに連絡出来ずに居た。 何故ならいつも家を出た後の彼は、どうしてか電話すら取ってくれないのだ。 勿論「ザフト」、と言う軍の話も自分の前ではしないし、軍施設の場所だって曖昧にしか教えてくれない。
は疑問を感じていたが、それはを思っての事だった。
自分が家から出れば軍の情報が常に行き交う。
何処かで軍の話を耳に入れてしまうのではないか、とイザークは常に警戒していた。
些細な事でも聞いて、それがきっかけになって、昔の辛い経験を思い出してしまうのではないか、と。
イザークはいつも葛藤していた。思い出して欲しい、思い出して欲しくない、と。 イザークだけではない。ディアッカ、ニコル、ラスティも、皆、そうだ。 願いと思いが重ならず、迷いを持った気持ちにいつも胸を締め付けられている。
『うぁ〜・・・、凄い』
はイザークによって指示された車へと乗り込み軍施設正門へと向かっていた。 遠目から見えた施設は既に広大さが伺えたが更に先へ進んでみるともっと凄い。 訓練場や格納庫、司令塔に立派な建造物。それらを横目に見ながらは瞳を輝かせ大きな溜息を吐く。
『此処に来るのは初めて?』
『はい。とっても広いんですね、軍の施設って。驚きました』
『そりゃ、君みたいな女の子には縁が無いよなぁ』
運転手に声をかけられて、窓に張り付くように外を見ていただったが、
自分の子供のような体勢に気付いたのか前を向きそ知らぬ顔をして背筋を伸ばす。
運転手の言うように自分と此処は無縁だ。だから初めて見る景色に、目を奪われた。 何処かから聞こえる声、機械音、風を切る音。 今度は目だけをやれば建物のずっと向こう、蒼く澄んだ空には幾つかの飛行物体が往来している。
『あれはー・・・』
『お待たせ、着いたよ』
が遠くに見える飛行物を良く見ようと目を細めた途端、車が静かに止まった。 笑顔の運転手が目的の場所だと振り向き、誘うようにドアが開く。 此処へ来たのは観光ではなくて届け物をしに来たのだと思い出したは、慌てて手元に置いておいた鞄を手に取ると、外へと急いだ。
『!』
外へ出て、「有難う御座いました」、と言った途端、聞きなれたツンとした声が自分の名を呼ぶのが聞こえた。 が振り返ると然程離れていない場所に家と変わらず背筋をピンと伸ばした白服を着るイザークの姿があった。 は鞄の中に入れておいたIDを探し手に取ると高く掲げて近づいてくるイザークへと笑いかけた。
『イザーク!持って来たよー。はい、コレ』
『助かった。礼を言う。じゃあ、さっさと帰れ』
『は?』
がIDを差出し、それを受け取ったイザークは周りを気にしながら小声でそう言い放った。 自分の目も見ず、顔を隠すように。だからと言って周りに誰が居ると言うわけではない。 続けて、もう完全に「建物の裏」と言っても良いほど簡素な場所で人通りも無い其処で、イザークはそっけなく手を上げて追い返す動作をする。
確かにイザークは隊長任に就き、立場を弁えた行動を心がけないといけないだろう。 自分と言う家政婦に近い女が此処へ来た事を見られるのは困るだろうが、だからと言って見た事が無いほどそっけない。
『そんな言い方・・・』
そうが口を尖らせてもイザークは知らん顔だ。 むしろ面倒そうな顔つきは、これ以上拗ねたところで何にもならないだろう。
『さあ、帰れ』
『・・・はぁい・・・』
『あっちに送迎用の車が待機する場があるから。其処に行けば直ぐに乗れるだろう』
イザークが指を指した場はもう既に見えていて歩いて直ぐの場だ。
この場を知らないが迷わないように配慮してこの場を選んでくれたのか、それともただ口で言うように直ぐ帰って欲しかったのか。 が視線をやり、乗り場を確認した事に頷くとイザークは颯爽と踵を返し軍用入り口から施設内へと入って行ってしまった。
『さぁ〜って、帰るか』
パタンと鉄のドアが閉まるのを見送ったは、手持ち無沙汰の指を組み背伸びをして回りを見回した。 大きな通りは戦車や大型トレーラーのような物資を運ぶ乗り物の為なのだろうか。 見たことも無いほど駄々広いが、今日は特別な日だからか一台も車の通らない道へとヒョイ、と軽やかに足を運ぶ。
後ろを振り向けばイザークが消えて行った大きな施設が嫌でも目に入った。
はじぃ、と高く建物の終わりまで見上げると回りに誰も居ないのを再確認する。
『・・・少しだけ、覗くくらいだから良いよね』
イザークにははっきりと言えなかったが、正直施設内の様子に興味がある。 どんなところか欠片でも教えてくれないからそうなってしまったのか、それとも自分は元々そんな好奇心旺盛な性格なのだろうか。 どちらにせよ折角此処まで来たのに何もせず何も見ずで帰るのは勿体無い。
は内地が見えるようフェンスにでもなっていないかと施設の周りをこっそりと歩く。 幸い見通しは良い。それらしきところが視界に入ると、は小走りに様子を伺いに行った。
近くに行けば、断片的だが男性の声が聞こえてきた。 残念ながらフェンスではなく高い塀が続き中は見えないが、誰かに何かを指示しているようだ。 どんな事を話しているのかとは耳を澄ます。すると、
『ねぇ!そこのアナタ、遅れるわよ』
ビクリ。の身体が大きく跳ね上がった。 後ろからかけられた声質は高いがしっかりと重みを備えていて自分へ向けられたのだと直ぐ分かった。 驚きに固まった身体ではゆっくりと振り返る。
『私たちも新兵だから一緒に行きましょうよ。集合の時間に間に合わなくなるわ』
恐る恐る声の主を見ると、短いが紅い髪が印象的な少女がにっこりと笑いながら立っていた。
『いや、私は・・・』
『違うのかよ』
『シン』
その彼女の後ろから、もう一つ声が聞こえた。 そこには漆黒の髪に、赤い瞳の男の子。彼は睨むような、突き刺すような瞳でを見る。
けれどそんな威嚇するような瞳には臆する事無く頬をかいた。 はっきり言って慣れていた。実際はもっと、冷たくて当たりの強い人を知っているからだろうか。 少年が睨んだところで子犬が自分を警戒するくらいの威圧しか感じない。
『うん』
『・・・こんな所に居るなんて、物好きな奴だな』
シンと呼ばれる少年が疑うように自分を見てきたが、は誤魔化す言葉を探せなかった。 興味があると言っても、こんな街から離れた軍施設を周りから眺めていたら確かに「物好きな奴」だ。 自分だってそう思うだろう。だからそう言われても言い返せない。
『シン!そんな言い方しないの。じゃあ、私たち急ぐから。ほら、もうレイが待ってるんだから』
『あ、ああ。じゃあ・・・』
苦く笑ったと、じっと睨む少年との間を緩和させるように、少女が間に入って遮る。 そして腕時計を少年へと見せつけると目的の場所へと手を引いた。
は手を振り愛想笑いを浮かべると、彼女等が進む眩しく太陽を反射させる道を少しだけ羨ましそうに見る。
『・・・帰ろ』
此処がどんな所なのか興味はあるが、イザークが言うようにやっぱり自分が来るところではないらしい。
は頭をかきポソリと呟くと、施設とは逆方向へ歩き出した。
ねぇ、あの日僕たちが出会ったのは 運命の始まりだったのかな (2010/02/07)