≫ 目を閉ざさないで いつかは全て消えてしまうから (09.04.21)
変えようと翳した手が正しいものなのか分からない。でも変えるには動かなければならないんだ。
◆My love story◆
宇宙につり下げられた砂時計のようなプラントの首都―アプリリウス・ワン。
その底部に存在する海の中に浮かぶ島の一つの白浜で、はぼんやりと揺らめく波を見ていた。
色も、風も、飛沫も、地球で見て来たものとは全然違う、穏やかで定められた人工的に造られたもの。
だが例え人工物であっても自分はずっとこれを綺麗だと思っていたし、今でも同じように綺麗だと思う。
地球で見た本物の海はもっと雄大だったが、愛着の湧いている此方の海は身を投げてでも守りたいほど雅で繊細だ。
『こんな所で、何をしている?宿舎を出るなら連絡の一つも入れておけ』
目を細めて感傷に耽っていると、聞き慣れた声がの背中に届いた。
風が通り過ぎ声の方向へ振り向くと、一人佇むを見つけたクルーゼは優しく声をかける。
『・・・議会は終わったのか・・・』
『ああ。ザラ議長閣下はボアズの陥落を見て心を痛めておいでだった』
宇宙要塞ボアズは元々、東アジア共和国がL4宙域に所有する資源採掘用小惑星「新星」であったが、
新星攻防戦においてザフトに侵攻を受け降伏放棄され、
プラントは以後ボアズをL5に移送し、ヤキン・ドゥーエとともに重要な防衛ラインとした。
しかし先日、ボアズ攻略戦において地球連合軍のピースメーカー隊による核攻撃によりボアズは完全に破壊された。
クルーゼ曰く、禁止された筈の核をまた使った地球軍に対し憤怒の如く顔を顰めたパトリック・ザラは
新たな手をかけて侵攻中の地球軍の対処を考慮しているのだと言う。
『そう・・・』
『それより、こんな所で何をしていた?宿舎を出るなら連絡の一つも入れておけ』
そう言うとクルーゼは後方に見える宿舎に視線をやる。
達は今後の指示がされるまでの間、アプリリウス市にある軍宿舎に泊まっていて夜には隊長クラスの会議が行われる予定だった。
そろそろ日は暮れてきていたがそれまでは自由行動だった為は考え事をする為に此処へ足を運んだ。
以前見た地球の海では何もかも忘れられ一時だけでも心を救われた。
だから今、迷いに駆られて居る自分を、弱い自分を見せる事を、広大な景色に許せて貰えたら、と思って。
『自分が、良く分からなく、・・・なって。・・・軍に居たら、余計な事まで考えそうだった』
核を使っていたのは自分の"鬼神"も同じだ。そして、ザフトが造ったフリーダム、ジャスティスも。
罪深きは相互変わらず、今はもうどちらが悪いとも言えない状況にまできていて、自分の立場では今怒りに駆られたザフトを止める事は出来ない。
それに、ボアズと言うプラントの盾を攻撃したと言う事は、戦路を考慮しなくてもそのままプラントを攻めて来るだろうと考えられる。
「核」によって簡単に変わってしまった情勢に、止めようと思った自分の無力さが射す日差しのように身に染み溜息に変わる。
『・・・ふむ。しかし相手が話し合いの席に付かないのなら仕方がない』
クルーゼがの隣へと歩く度に、乾いた砂の音がする。風に靡いた金色の髪が影を作り、は顔を上げた。
『・・・それでもわたしは、終わらせたい』
プラントが報復を望むのは分かる。だから戦争はいつも進行形なのだ。
でも、此処でそうして地球軍を攻めて、何か決定的に変わる事なんてないのも知っている。
『プラントが戦争に勝てば終わる』
悩むへクルーゼはさらりと言葉を吐いた。
それはザラ議長が、ザフトが以前からずっと口にしていた言葉だが今実際そうであれば良いとは思えない。
『・・・そうじゃない・・・。勝つとか負けるとかじゃなくて、何で和解が出来ないんだ』
『欲を持った人は何処までも愚かだ。虐げられた者ほど今度は上に立ちたいと思うものさ』
クルーゼが言う言葉は確かに人の欲を語っていて、は言葉を続けられなかった。
過去にサイクロプスではザフトが、グングニールでは地球軍が、同じような目に遭い遭わせてきた。
頭を抱えたままのへ、代わりにクルーゼの髪が揺れ顔を覗き込むように問う。
『では、はどうするつもりなんだ?』
『わたしは、ラウを助けたい。プラントを、・・・仲間を守りたい』
戦争と言う大きな規模を考えたら自分一人では無力過ぎるが、自分が出来る事、したい事はすぐさま考え付く。
戦争を終わらせると言うクルーゼの力になりたいし、
共に戦ってきたイザーク、アスラン、ディアッカ、ニコル達も守りたい。
そして、「血のバレンタイン」のように非戦闘民が犠牲になる事がないよう、安否も考えたい。
『なら今は刃には刃をもって返すしかない。彼等と話し合う時間はもう無い』
『・・・・・それは・・・』
『分かっているが、それはしたくない、と・・・?』
クルーゼの代弁に、はコクリと頷いた。
戦わなくて済むのならそれに越した事など無い。
誰も悲しまず、誰も憎まず、誰も手に武器を持たずに済めばそれが一番良いに決まってる。
自分達が経験したような事を、まだ知らない誰かが体験する必要なんて無いんだ。
けれどこのまま悲観していても駄目だって事は十分過ぎるほど分かっている。
『・・・戦いたくない、でも戦わないと守れない。矛盾しているとしても』
絞るようにして出した声に、クルーゼは視線を外さす耳を傾ける。
そして一拍おいて、ミキへと語りかけた。
『君はただ守る事に専念していれば良い。―それとも、やはり"鬼神"から降りるか?』
冷静なクルーゼの声は驚くほどすんなりとの耳に入った。
それが出来ればどんなに楽だろうと思うけれど、それをしてきた自分は逃げてるだけで誰も守れず後悔も沢山した。
だから今度は楽な場所に逃げるのではなくて、
『降りない。・・・ラウの傍に居る』
『おや、私の傍に居る為に乗ってくれると言うのかね?嬉しい事を言ってくれる』
『終わらせてくれるラウの力になる、そう決めたと言った』
『心配するな。次の戦いで、必ず終わるだろう』
そう言ったクルーゼは胸元から小さなケースを取り出し、カプセルを一錠見せる。
『・・・薬?』
何故今それを出したのか、は首を傾げてそれを見る。なんて事ない薬、クルーゼが前も飲んでいた薬だ。
『私はクローンだ』
『・・・は?』
『この薬が無いと退化してしまう身体を抑える事は出来ない。
いや・・・、この薬を飲んでいたとしても退化している身体を止められていない』
今その話をする意味が分からない、とぽかんと口を開けるの隣でクルーゼは薬を見ながら、人事のように話し始めた。
クルーゼはアル・ダ・フラガ体細胞クローン、「ラウ・ラ・フラガ」として誕生したが、
その頃の科学力から体細胞クローニングの宿命であるテロメア遺伝子の減少短縮問題を技術的に解決出来ておらず、
クルーゼは余命が短く早期に老いが訪れるという「失敗作」として誕生させられてしまったらしい。
そしてアルが妻との間に普通にもうけた息子ムウ・ラ・フラガとの関係も淡々と話し、
クローンとなれば事実上ムウ・ラ・フラガとの関係は血濃く在り、常々互いの存在を認識し合った理由が理解出来た。
しかしは更に浮かぶ疑問に眉を顰める。そんな話は聞いた事が無い。
クルーゼは突然何を言い出すのかと思う反面そんな事を今話す彼に胸にざわつきを感じるが、
クルーゼは表情を変えず訝しげに視線を送る顧みる事なく言葉を綴る。
『さっきの話だがね、私は遺伝子を好き勝手に操って来たこんな世界、終わってしまえば良いと思っている』
手に持っていた薬、クルーゼがそれをぐっと握り締めると手袋の中で粉々に砕けただろう音がした。
そしてさらさらと風に流れる粒子が、不規則に空へ解放された途端に舞う。
『終わる・・・?終わるって・・・?』
『何を問う事がある。"終わる"とは文字通りだが?』
鷹揚に振り被ったクルーゼの笑みは、の背中にぞくりと筋を通した。
戦争を終わらせる事を共に願っていた筈のクルーゼが「世界が終われば良い」なんて、そんな事思っていたなんて。
は強張った身体を震わせ、喉の置くから言葉を吐く。
『何をっ・・・!冗談でもそんな事言うな!』
『冗談ではないさ。そもそもそんな器用な会話が出来る性質ではない』
つい感情的に返したとは反対に、クルーゼは自分はつまらない軍人だぞと冷ややかに笑った。
確かに彼から冗談なんて聞いた事もないし、これからも無いだろうと思えるくらいの性格だが、
いつもと違うその顔があんまりにも無表情で儚くて消えてしまいそうで、は不意に離れて行ってしまいそうなクルーゼをこの場所に留めようと腕にしがみ付くように掴んだ。
『終わせらなくても、変れば良い!人は、幾らだって形を変えれる!
・・・わたしはラウが居てくれたから変われたっ・・・!』
何もかもを失ってしまったと思った自分はクルーゼによってあの日の絶望から救い出して貰えた。
居場所を教えてくれた事で変われた。だから世界は、人は、
『変われる、変われるよっ!』
『・・・変われる?変われるわけがない。人は愚かだ。また何か事があれば力を行使するさ』
これだけ近ければ声は届いている筈なのに、白けた言葉しか返ってこない。
きつく抱きしめた身体が、いつものように優しく抱き返される事は無かった。
『・・・』
クルーゼはゆっくりとの手を自分の腕から解き離すと、今度は反対にの肩を掴んでしっかりと表情を見た。
仮面に隠れていても、視線はの瞳を捕らえているだろう事が分かり、はごくりと息を呑む。
『クローンの私と同じように、君も利己的な理由で生み出されたのを知っていたか?』
『・・・わたしの、生まれた理由?』
やっぱり知らなかったのか、と今にも言いそうな口元は滑らかな声を紡ぐ。
そのせいか時間はゆったりと流れているように感じ、不思議な感覚が身を覆ったが
はそのまま顔を上げクルーゼの言う意味を待った。
『君は兵器として生まれた』
クルーゼの言葉に、一瞬息が止まった。けれど、衝撃を感じた頭では何の事を言っているのか、それからの先が理解出来ない。
自分が兵器―?聞いた事もないそんな話。
の寄せた眉から推測したのか、クルーゼは呆れたような笑顔を浮かべ口を開き言葉を続ける。
『君の父親はナチュラルを見下していた。君も昔はそうだったろう?』
クルーゼの鋭い言葉は思考の止まったの胸をドクン、と鳴らす。
確かに昔、ナチュラルは野蛮で衝動的な生き物だと思っていた。いや、そうだと教えられて来た。
けれど、"鬼神"と言う禁じられた核を搭載した機体に乗り、同じような事をしてきた自分、
望んだ科学者達だって「勝利」に対し強欲で汚かった。
人は人である限り決定的な違いなど無い。
でも、だからこそ人には隔たりなど無いと知れた。知って、慈しむ事を学んだ。
『今は違う、わたしは・・・!』
『研究所の皆は君に殺して欲しかったんだよ。ナチュラル達を』
の返される言葉に被せるように、クルーゼの艶めいた声がかかる。
クルーゼによって酷く簡単に口にされたがは更なる衝撃を身体全体に感じ、髪の毛一本すら瞬時に凍りついてしまったようだった。
『殺し・・・、ナチュラルを・・・?』
『そう、だから君を優秀なパイロットに育て"鬼神"に乗せた』
確認するかのように問うと、冷ややかな笑みを湛えたクルーゼの表情はいつも見てきたものと違う。
優しいと思っていた彼の、時折見せる理解出来ない笑み。
クルーゼは言葉を失い瞳を泳がせるに続ける。
『しかし、まさか「血のバレンタイン」以降君が降りる事になるとは思わなかったよ。
あのまま乗り続けてくれたら終焉は直ぐ其処だったかもしれないのに』
お陰で事が進むのが遅くなった―、と語るクルーゼはふっと視線を落とした、が。
『まぁ、もう済んだ話だ。それよりそろそろ鍵が扉を開けてくれるだろう』
何か宇宙の遠くを見て笑い、胡乱な雰囲気を見せた。
彼の言っている鍵とは、時折クルーゼが言っていたあのディスクの事だろうか。
フレイも脱出ポッドに乗る前、会った最後に言っていた、自分が鍵を届けると・・・。
『・・・鍵!?』
はハッとし、同時に込み上げてきたざわめきを胸に感じ、抑えるように手を添える。
『気付いたかね。鍵とはあのNジャマーキャンセラーの概要が入ったディスクだ。
ボアズを攻略した核、あの娘によって地球軍に無事辿り着いたと推測される』
『何で、そんな事・・・?』
『だから言った。こんな世界は終わるべきなのだよ。
この世界は醜い。そんな世界は、存在しない方が良いのさ』
何故簡単にそんな事言うのだ、とは声にならない喉の奥で感情を噛む。
彼の生い立ちが特別なものであっても、そんな悲しい事を思って欲しくない。
今まで見てきた彼は自分が居る隣で笑ってくれて、力になれば肩の力を抜いてくれた。
互いが互いの力を認め合い、信じてきたのに。
違う。信じていたのは自分だけだったんだ。だって、彼が自分にした事は。
『・・・フレイを、わたしを騙したのか?』
『騙す?そうかもしれんな。全てを失くして、世界を破滅に追いやる。
いつの頃か夢見た終焉の幕開けの為に』
目の前が、真っ白になった。自分が今までしていた「終わらせる為の努力」は何だった。
クルーゼの描いたシナリオを辿れば見えるものなのだと信じて来たのに。
『― 変われ!』
ぐっと握った拳は力に震え、正確な呼吸をする事を妨げる。は耐え切れずにクルーゼの胸倉へと掴みかかった。
力強く押された身体はぐらりとバランスを崩し、クルーゼ程の長身の男を怒りに駆られたの力はいとも簡単に倒してしまえた。
どさりと砂の上に鈍い音を立て二人は倒れ込み、はクルーゼの上になった状態のまま更に襟を掴む手に力を入れる。
襟を取られ、息苦しかったかもしれない。しかしクルーゼは顔色一つ変えないままを見ている。それが、とっても、とっても辛くて。
『分かるだろう!?終わってしまっては何も変わらないっ!わたしと一緒に、やり直そう・・・っ!?』
何でそんな事を言うんだ。何で終わりなんか望むんだ。
自分はクルーゼの優しい言葉に何度も何度も救われ、今のように変われた、だから。
『・・・私が変わったところで、何が得られると言うのだ。「朽ちるだけの身体」で、"自分"も無く「終わるだけの命」で』
けれど、クルーゼの冷え切った声は絶望ばかりを紡ぐ。
は身を切るようなどうしようもない答えを止めようと声を荒げて制する。
『変われば見えるものも違う!ねぇ、そうでしょ?ラウッ!・・・ラウッ!!』
何度叫んでも、顔を此方へ向けても、視線が合っていても、クルーゼの瞳には自分の影が入っていても、視界には何も映っていない。
プラントの綺麗な空も、流れる雲も、輝く海面も、キラキラと光を反射した白浜も全て全て。
『、君のような者には分からない。私は変わらないんだ』
『じゃあ何故わたしに話した!?』
こんな事、ずっと秘めていたのなら世界が終わる最後の瞬間まで言わなくても良かっただろうに。
『慕われるのは慣れていない。それに面倒な距離感はもう、うんざりでね』
『うん・・・ざり・・・?』
固く閉ざされた心はの言葉の何一つを受け入れてくれていない。
しっかりとクルーゼの襟を掴んだの手は、いつしか力を失いするりと離れた。
それを無表情のまま確認したクルーゼはの身体を押し退け、立ち上がる。
『次に宿舎を出る時は必ず連絡を入れろよ』
そう言って立ち去ったクルーゼの後姿はいつもと変わりなく凛としていた。
今までしていた事、話していた事は夢で、現実にはまるで無かったかのように。
『・・・ラウ・・・』
穏やかな波音がを包む。こんな時間も、景色も、彼には世界の何も美しく見えないのだろうか。
― いや、「今」じゃない。きっと昔から見えて無かったんだ。
はのそりと立ち上がり身についた砂を叩く。
体の至る所についた砂はパラパラと輝いて落ち、足、腰、腕、そして胸元と自分の手が這う順を追っていると、ピタリと動きが止まった。
『・・・紅・・・い・・・?』
今まで何も見えて無かった手に、赤い血の跡が見える。それは昔のようにはっきりと見える鮮やかな紅。
イザークが汚れていないと言い切ってくれてから、見える事が無かった、けれどこんなにもはっきりと。
この紅は出生の理由を知らなかった無知な自分に、言葉無く教えていてくれていたのかもしれない。
『・・・イザーク・・・』
彼の言葉がまた自分を救ってくれるだろうか。
彼のように自分もクルーゼを救えるだろうか。
『わたしは・・・』
手をやればの胸元にはキラリと煌めく小さな光。は大事に大事に、それを握り締めた。