≫ 濁る視界を晴らすのは 諦め悪く在る一つの恣意 (09.05.02)


近くて忘れそうになっていた。自分の名前を呼んでくれる人が此処にも居たって事。



『何で、此処に・・・』

はぽかりと口を開いて、ただただ思った言葉を口にした。



◆My love story◆



クルーゼが去った後も砂浜に残っただったが、 すっかり日も暮れ黄昏色に空を染め上げていた事にイザークが現れた事で気づいた。 彼のプラチナ・ブロンドが赤みを帯びて美しく風に揺らめき、時間を知ったの視線を集める。 いい加減こんな所に立ってないで宿舎に戻らなければ夜の軍会議に間に合わないと分かっていたけれど、 動かない足は鉛のように重く砂に埋まってしまったようでただぱちくりと瞬きを繰り返す。

『何で此処にって、』

いつの間に此処に来ていたのか、と更に言いたげなの口は小さく動き、 それを見たイザークはふっと柔らかい笑みを零すと不思議な表情を浮かべた隣へと歩み寄る。 ブーツが僅かに砂に沈み、鈍い音が波の音に重なって消えた。

『隊長クラスは此処で会議でしょう?』

「俺が隊長になった事をお忘れですか」、と首を傾げて笑うイザークの物腰は落ち着いていて 胸にざわめきを抱えていたはふっと安らぎを感じた。 柔らかい夕陽がイザークの優しい瞳を染め、それに見られた肩の力が自然に抜けて背が軽くなる。 そして、思う。何でいつも、イザークは自分が不安な時に限って傍に居てくれるんだ、と。

今までだって、こうやって彼が此処に来てくれたのだって、全て、偶然の筈だ。 自分は軍の仕事でデュエルの調整をしていただけで、彼自身にに歩み寄ろうとしていた分けじゃない。 Xナンバーの調整をしていた自分は誰とイザークを区別してもいないし、 優しい彼等もきっと自分を特別視していなかった事だろう。 反対に、イザークだってその時その時のタイミングで此方に来てくれているだけで、 自分の何を察知した分けじゃない筈だ。 だから、さっき在った自分とクルーゼとの会話を聞いて来た分けじゃないのも分かってる。 でも、こうやってイザークは自分の目の前に居る、居てくれる。

『・・・イザーク』
『どうしました?』

隣に居るイザークをちらりと見上げては微かな声をかけると、 イザークが答えるように振り向き、彼の白い肌は夕陽に照らされ眩しく煌く。 呼んだのが自分にもかかわらず、は目が合った事に戸惑いを感じ肩を竦めてすっと視線を落とし、 あんまりにもイザークが綺麗に染まる赤色に、目を細め自分の手に落としたままの視線をやった。

すると、夕陽に染められた自分の手が以前のように紅く見える。 はぞっと首筋に寒気を感じ、見開いた目で自分の手を眺めた。

『この手が・・・』

君は兵器として生まれた

クルーゼの言うように人を殺す為に作り上げられた自分の手。 紅い色が染み付いて消えなかったのは 知らず知らずのうちに己で在るべき居場所を見出していたのかもしれない。

紅い紅い、人を殺す為の身体

ナチュラルとコーディネーターの確執。より良いものを目指した結果が、ただ憎み合い僻み合う世界。
人は、何を求めたのだろう。何が幸せだったのだろう。

自分のこの紅い手は人を亡くす事が目的の手

『・・・私の手、紅く汚れてませんか?』
『・・・紅く?』

は手を海より高い空へと翳しイザークに問う。 人を殺す為に生まれた手で、人を殺す戦争を止めようと叫んでいるが血で紅く染まった自分では その理想論を翳す事自体おこがましい気がして。

『前も言いました。汚れてなんかいません』

イザークの真っ直ぐな瞳は、を貫いた。 会った当初のように、変わらずぶれる事の無い真摯な眼差し。 どう答えてくれるか知っている自分が卑怯だと分かっていても聞かずにはいられなかった。 自分はイザークの優しい言葉に甘えようとしている。イザークが言ってくれれば、いつだって救われるから。



『・・・私は、人を殺す為に生まれたらしいんです』

夕陽に染められた手を見ながら呟いたの独白にイザークは少しだけ息を呑んだ。 散々過去を持っている彼女には驚かされてばかりだが、人を想う優しいがまさかその為に生まれただなんて。

は眉を下げ、もしかしたら少しだけ笑っただろうか。
複雑な表情で下ろした手で拳を作る。

『楽しかった研究も、叩き込まれたMSの乗り方も、全部全部ナチュラルを殺す為に』

はぐっと目を瞑り思い出す。
過去の自分がする事はいつもいつも一つだった。父と共に居た、狭い世界で毎日毎日何を学んでいた?



メディア情報システム学

先端科学技術

環境マテリアル分析

オブジェクト指向プログラムング特論


楽しかった、面白かった、夢中になって論文を書いた。


ネットワークシステム プログラミング セキュリティ

センサー感性工学

デジタル信号処理


論文が壁一面を埋め尽くす頃、モビルスーツの乗り方を知った。


情報数理 量子情報 遺伝情報

応用確率論 統計数理

人工知能 ソフトウエア科学

幾何学 エントロピー倫理 

離散 数学


それからはナイフ戦、爆弾処理、射撃。士官学校で更に経験を積んだ。




『あれは自分が好んでしていた事なんかじゃない。遺伝子が最初から好んでするように出来て居たんだ』

わたしの手は紅く汚れている。
・・・この紅い手が綺麗に洗われる日は、二度と来ない


以前イザークに言った自分の言葉。
やっぱり、そうなのかもしれない。自らが、終末へ向けて既に知識を欲していたのかもしれない。



『それがどうかしましたか?』

しかし、の力強く握った拳にそっとイザークの細い指が添えられ、 綺麗な手をゆっくりと辿りイザークの顔を見るとすましたような穏やかな表情が自分を見ている。 がさらりと流された言葉に声を失っていると、 波が起こる事で出来た潮風がイザークの眼差しのように優しく二人を包み込むのが分かった。

『今、貴女がしようとしている事は何ですか? 俺には誰かを救おうとしている手が、汚れている筈がないと思います』
『・・・救おうとしている、手・・・』

砂の音を鳴らしへと向いたイザークの両手が、の両手をもっと深く包む。 温かい手は酷く心地良く、どんどんと胸が熱くなって喉もとが震える感覚に襲われた。 そして眼、瞳も熱を持ち霞みゆくのが分かった。

まだ泣くな。まだ泣くな。何も終わってないのに、泣くな。

砂を、空を、海を、揺れる緑を見て、気持ちを紛らわす方法を見つけようとは必死で瞳を動かした。 そんな事を言われたら、我慢出来なくなってしまいそうだった。 整備士と言う立場を抜け、兵士に戻った事で一生懸命張っていた肩肘も、 イザークが居る此処で一滴だけでも零してしまいそうだったから。

『・・・有難う御座います。そう言ってくれる貴方が居れば、変えられる気がします・・・』

そうだ、何も終わってないのに泣いてなんかいられない。今からでも、遅くないんだ。 この手が染まっているように見えても、救おうと本気で想っているのなら。 世界を、人を、クルーゼを変えられるように、涙なんかながしていないで自分が動かなければ。

優しい眼差しのイザークに支えられた手はしっかりと握られ、安堵感に包まれたは俯きながらもしっかりとした声で答えた。



集合時間になり会議室へと順に隊長クラスの面々が入っていく中で、廊下を悠然と歩いていたはピタリと足を止めた。

『・・・ラウ』

名を呼んでも仮面に隠れた表情は一筋も動かず、冷たい。 入り口で互いに見つめ合う時間は僅かだったが時が止まったかのようで、は詰まった喉の奥を鳴らせる。 何か言葉を、そう思って居る間にクルーゼは表情一つ変えずに颯爽と会議室へと入ってしまった。

綺麗に正された背中を見て、ぐっと下唇を噛んだはブーツを鳴らしてクルーゼの隣に座る。 今までは直ぐ其処にあって直ぐ触れられた背中。 何も考えず当たり前のように声をかけ甘えて来たのに、今は言葉一つかける事が難しい。 けれど此処で何も言わないなんて、言えないなんて、そんな不甲斐ない事したくない。

段上のホールになっていた会議室のデスクには個別にコンピューターが用意されていた。 既に席についていた兵士も、順に座っていった兵士も電源を入れそれらをざっと眺める。 も同じように次々と開くファイルに吸い寄せられるようにモニターを見ると、 其処には出来上がっていた隊の構成、配置図が組み敷かれていた。

『・・・これは・・・』

二部構成になっている時間割の最初の配置図ではの隊は前線に置かれていた。 "鬼神"は一対多数用の機体で昔の経緯からそうなる事は分かっていたが一つ、気にかかる事があった。

『・・・わたしの部下は、何故こんな何も無いところに配置されているんだ?』

以外の特殊部隊員、ニコル、ラスティら合わせて5人はヤキン・ドゥーエの後方に配置されていて モニターを見ながら意図を読み取ろうと呟き首を傾げた。 ヤキン・ドゥーエの後方にはもうプラントしかなく、最後の要として彼等が宛がわれたのだろうか。 しかし、だったら尚更優秀な彼等を前線、またはヤキンの前で配置するのが妥当と言うものだろう。

『その意味、いずれ分かる』
『・・・え?』

が眉を寄せているのが分かったのか、クルーゼはにやりと口の端を上げて笑い 白い手袋に覆われた手でキーを叩き特殊部隊の位置を拡大する。 いずれと言われても今分からなければならないんじゃないか、 とコンピューター内の情報を汲まなく探すがそれらしきデータは何一つ入っていない。 一体どうしてなのか、上層部の考えが読めずは溜息を零した。

『・・・何でラウはこの配置の意味を知っている?』
『何故君に話さなければならない』

背凭れに寄りかかり前方へ視線を投げたは、 隣で冷ややかな視線を同じく前方に向けているだろう相手に冷静に声をかける。 ふっと笑いが漏れた息が聞こえたのは彼に謀があるのだろうと推測出来、は小さく舌打ちをした。 自分が出来る事はせいぜい地球連合軍から身内を守ると言う事だけだ。 これ以上の情報を知る立場も力も無く、歯がゆさに身を委ねているだけ。 ギリ、と爪を噛み思考を巡らせているとクルーゼがゆっくりと口を開いた。

『・・・一つ聞きたい。君は憎いと思わないのか?豊かに笑えない世界を』

視界の端に、クルーゼが髪をかき上げる仕草が入る。
口に笑みは浮かべているだろうがきっと本当は無表情で、その仮面の下に何を思っているんだろう。

『哀れんだとしても憎くはない。まだ先の見方を間違っているだけだ。 手探りでも将来豊かに笑う為に、わたしは軍服を着て此処に居る』

は気持ちを揺るがす事無く、凛とした態度で答える。

『こんな世界、滅んでしまった方が笑えるのではないか?』
『それは貴方の思い上がりだ。終わる事だけが全てじゃない』
『それこそ君の思い上がりだ。 此処に居るほとんどが世界の滅びを望んでいなくともナチュラルの滅亡を望んでいる。 ・・・なんて醜い』

そう言ったクルーゼは溜息を零し肩を竦める。 彼の力では固く身を縛る悲しみの鎖から逃れる事が出来ないのだろう。 だから変えたいのに、世界は悲しみだけではないと教えてあげたいのに。

『一つ聞いた代わりに、一つ教えてやろう。 後方に回された特殊部隊、それが其処を守ればプラントを守れる』
『・・・ラウ・・・』

は息を呑んだ。 幾らクルーゼだって、本当に自分の事をどうでも良いと思っているなら、こんな事言わないと思う。 良くも悪くも、其処が要となっていると言う事を教えてくれるのは気紛れだったとしても胸を打つ。 自意識過剰なのは分かっているが、それでもそう思わせるのは、 突き放しているにもかかわらず以前のように艶めいた優しい声で話すから。

は少しだけ困ったように寄せた眉を悟られないように息を吸って呼吸を整える。 こんな事で脆い感情を表に出してはならないし、そんな弱い自分をクルーゼが見たら呆れるだろう。

『・・・感謝・・・する』

でも、もしかしたら、また以前のように笑ってくれるかもしれないと言う希望も捨てきれない。 こんな風に話してくれるのが、例え気紛れだったとしても。 この世に変わらないものなんて、変われないものなんて無いのだから。

『・・・人は変われる。ラウだって・・・同じだ』

小さく小さく呟いて、また突き放されてもこの想いがクルーゼに届けば良いと思った。
彼はずっと信じてきた相手だし、自分を同じくらい信じて貰いたいから。

『・・・そうか』
『そうだ』

変わらず二人は正面を見る。言葉は交わしていても前のように視線が交わる事は、一度も無かった。