≫ 別たれたるのは「哀」が凌駕する運命(さだめ)の輪の内 (09.03.07)


まだ傷も直り切らないうちにアスランは国防委員会直属、特務隊に転属となり、 最新鋭機が宛がわれる為至急本国へ戻らなくてはならなくなった。

ブリーフィングルームでクルーゼからその話を聞いた、イザーク、ニコルは 今、此処から見える筈もないアスランの病室へと無意識に視線を投げた。



◆My love story◆



アスランは病室で整理するほどでもない私物を鞄に詰め込んでいた。 量は無いと言っても、折れた左腕はまだ治らず固定されたままでは動きにくい。 一通り準備が整い椅子に腰かけて盛大に溜息をついたのは、 動きにくい腕のせいかそれとも突如転属を言い渡されたからか。

『・・・ネビュラ勲章、か・・・』

が部屋に来てくれた後、クルーゼもアスランの居る病室へと訪ね来て、 金の髪を靡かせ労わるように語りかけてくれた。 クルーゼは転属命令とともに自分に栄華あるネビュラ勲章が授与されるのだと言った。

あの日付で自分はクルーゼ隊を脱退し、特務隊の管轄となったがまだ実感が湧かない。 病室で寝ていたのだからそれもそうだろうけれど、 クルーゼ隊から離れると言う言葉だけは、思ったよりも胸に響いた。 此処から離れ特務隊に入ると言う事は、クルーゼ隊から離れ、仲間達とも、とも離れると言う事。 ディアッカが居なくなり、イザーク、ニコル、と離れ離れ。アスランは握り拳を作り力を込めた。 こうでもしないと軍人にはあってはならない迷いが、自分を支配してしまいそうだ。

そもそも、こんな自分がネビュラ勲章なんてものを受け取っても、 特務隊だなんて更にエリート揃いの場所に行っても良いのだろうか。
を危険な目にあわせ、かつての大事な友達、「キラ」を殺した自分が―?



『失礼します』

目を固く瞑り眉を寄せて悩んでいたアスランは、聞えた声にはっと顔を上げた。 もう声で分かる。キィ、とドアが開き入って来たのはで、その面持ちは普段のような元気が無かった。

『どうした?』

アスランは椅子から立ち上がりのもとへと寄った。 彼女らしい笑顔が見れないなんて、一体どうしたのか。 何か、思いつめる事でもあったのだろうか。 しかし床へと視線を落としたはアスランが歩み寄っても 声をかけても顔を上がる事はせず、口だけを動かす。

『・・・もうすぐ出発ですね』
『ああ・・・』
『アスランには、色々とご迷惑をおかけしました。すいません』
『そんな、やめてくれ、』

そんな言い方、もう会えないみたいじゃないか―

アスランは言葉を制止しようと声を挟む。 アスランよりも身長の低いの、俯いた顔は良く見えない。 一体何を考えて、そんな声を出しているのだろうか。

『アスラン』

アスランの思いが届いたのだろうか、顔を上げたはアスランの肩に両手をかけて耳元に寄る。 トン、と地を蹴るの存在をアスランは自己の髪にふわりと感じた。

『・・・ぅあっ!?』

思い掛けないとの距離に、アスランは一瞬にして頬を染めた。熱い、これは熱い。 息がかかってしまいそうなほど近くにを感じ、 目がまわりそうだと混乱した矢先、はアスランへと小さく小さく囁いた。

「キラ」を、殺させてごめんなさい

『―え?』

聞えた言葉にぞくりと身体を強張らせたものの、余りにも小さい声過ぎて、よく聞こえなかった。 聞き間違いではないかと思ったアスランはもう一度声にして貰おうとを見たが、 まだ直ぐそこにある顔に戸惑う喉に声が詰まってしまう。

『・・・では、お身体に気を付けて』

アスランが動揺しているとは身を後退し床に踵をつけ、いつもの間をおいた。 そして一礼してにっこり頬笑みひらりと身を翻しドアの向こうへと足を進める。 一度だけ、少しの間、廊下を出た入口の辺りで振り返りそうな仕草を見せたが、 結局振り返る事は無く直ぐに駆け出した。
足音が聞こえなくなり病室はしん、と静まり返る。

『・・・こそ、気を付けて・・・』

包帯をまだ巻いているのはも同じなのに、 「俺は君をいつも気遣っている」と伝えたいのに、 立ち去ってしまったにはもう、アスランの言葉は届かなかった。



アスランがそろそろ出発の時間だと重い腰を上げて廊下へ出ると、 窓からは夕日が差し込み辺りは黄昏色に彩られていた。 地平線へとかかる太陽に目を細め軽い鞄片手に長い廊下を歩くと、 壁にもたれて佇む人影が二つ見える。

『あ、アスラン』

小さい影が一つ、ニコルが先に気付いたようで手を振ってアスランへと声をかける。 大きな目が柔らかく緩み、夕陽に紅く照らされて輝いて見えた。 吸い込まれるような瞳にアスランが歩み寄ると もう一つの影のイザークも壁から背を離しアスランへと向く。

『少しの間離れる事になるけど、元気で。無理はしないで下さいね』
『・・・ニコルもな』
『ほら、笑って下さいよ。また一緒になれますよ、皆、一緒に』
『うん・・・。皆・・・』
『そうです。皆です。ディアッカもきっと何処かで生きてますって!だから、心配しないで』

ニコルの言葉に、アスランは困ったように微笑んだ。 ディアッカがMIAになってから、何の音沙汰も無いと他の兵士達が言っていた。 バスターの欠片も拾えなかったらしいが、一体何処に行ってしまったのだろう。 あの戦闘で粉々に消える事なんて無いのだから大丈夫だとニコルは笑い続ける。 なら、ニコルの言う事が例え気休めの言葉であっても、そうであって欲しいと願おう。

『だから、少しだけ、頑張って下さい』
『・・・有難う』

アスランは込められる全てをその言葉に託しニコルを見つめる。 ニコルは年下だがアカデミーから今まで彼の面倒を見てあげなければならない事なんて一度も無かった。 むしろ戦場では彼の方が身を呈してまで守ってくれようとする程、頼り甲斐のある存在だ。 だから、きっとニコルが言う事はいつか実現する出来事のような、そんな気がした。



『イザーク・・・』

その様子を黙っていたイザークへ、アスランは鞄を置いて向き合う。 名を呼ばれた事でイザークは視線をアスランへ向け、 互いの視線が交差し、二人の間には沈黙が通り過ぎた。

『色々とすまなかった。今まで、有難う・・・』

アスランがニコルと同様にこれまでの感謝の想いを込めてゆっくりと手を出すと、 無言だったイザークは無愛想にそれを見下ろした。 戸惑った表情が垣間見れたが、イザークも同じくらいゆっくりと手を出しアスランの手を力強く握る。

『・・・俺も・・・、世話になった・・・』

柄じゃない台詞に、少し照れくささが含まれているのを、アスランは感じとった。 イザークからこんな言葉を言われたのは長く付き合っていて今日が初めてではないだろうか。 いつもライバル意識剥き出しだったイザークの話し方は、どこかぎこちない。

『・・・おい』

一度視線を逸らしたイザークだったがもう一度アスランに鋭い瞳を戻し、 しっかりと、そして堅気な視線を向ける。

『アレは、お前には譲れない、・・・からな』

はっきりと言い放ち、イザークが握った手だけじゃなく言葉にも力が入っているのがアスランには分かった。 「アレ」とは地位でも名誉でもなんでもなく、ただ一つの事だって、そう言っているのだろう。 いつも正面から誤魔化しの無い意見を述べて来たイザークらしい行動だ。

ニコルは自分達のやり取りに首を傾げているのが見えたが、それを教えるのはまた今度の方が良さそうだ。 それより先に、自分だって彼女への想いをイザークに伝えなきゃならないから。

『俺だって諦めるつもりはない』

アスランも真剣な目でイザークを見る。
この想いだけは決して揺るがないと物語っているのが伝わるように。

『この決着は戦争が終わってからだ。だから、死ぬんじゃ、ないぞ』

頷いたアスランは小さな笑みを湛える。
こんな物言いだがイザークにとっては優しい気遣いのうちなのだ。

『・・・わかった』

イザークとアスランは名残惜しくも握った手を放した。



はクルーゼの部屋で至る所に巻かれた包帯を取っていた。 まだ医務室で治療中のにはイザークやニコル、船医達が代わる代わる様子を見に来て居た為、 動きを制限する包帯を勝手に取るなんて事出来ない。 そもそも、制限する為に巻かれたものなのだが、今のにはもう不要なようだ。 最後の包帯が落ちた頃、はテーブルの上に無造作に投げられた書類に気付いた。

『あれ?この「アズラエル」って人からの書類は?何処の見取り図―・・・』
『心配しなくても良い。大した仕事ではないものの一つだ』

が一部細かく書かれた施設内地図手に取りまじまじと見始めた書類を、 クルーゼはさっと引き抜き何事も無かったようにパタリとデスクの引出にしまう。 いつも全ての仕事内容を見せてくれたクルーゼの意外な行動にはぱちくりと瞬きをしたが、 彼が大した事のない仕事だと言うのなら大した事が無いのだろう。

『そう。ラウは本当に忙しい人だね。休みなんてあるの?』
『休み?そんなもの、平和になるまでは要らない』

凛とした姿勢のクルーゼは、はっきりと言い放つ。 彼のはっきりとした所は、隊長だからではないのだろう。 険しい戦争の時代を彼なりの信念を持ってここまで来たからだ。

『・・・ラウ』

だから、そんな彼だからついて行こうと思えた。

『おやおや、どうしたね?君が甘えるなんて珍しい』

はクルーゼの胴に手をまわし、顔を胸に押しつけた。 確かに温もりを感じたいと伸ばした手だったが、 今の複雑な表情を例えクルーゼと言えど見られたくない、と言うのが一番だったかもしれない。

『わたし、乗るよ。あの機体に』

がそう言うと、クルーゼの口の端がニヤリと上がる。

『そうか。そう言って貰えると思っていたよ』

クルーゼはの頭を優しく撫ぜながら、戦略パネルを見た。 赤く点滅しているのは北米大陸の目的地だ。大陸の北端、アラスカのユーコン川の河口付近。 そこに視線を集めたままへと優しく話しかける。

『機体を渡す為に即刻本国へ渡って貰いたいが、その前に君に頼みたい事がある。 グランドホローに侵攻する際、私の援護をして貰いたい』
『・・・うん。分かった。終わる・・・、んだよね?』
『終わらせるんだよ、私達の手で。、君が笑える日は、そう遠くないさ』

は更にしっかりとクルーゼに腕を回すと、 クルーゼもこれはの決意の表れだろうと背に手を回し受け返す。 それはまるで子供を宥めるような手つきで、甘く、優しかった。

『・・・私、ラウの為なら何だってするよ』

まるで自分に言い聞かせるかのように、は小さく呟いた。

貴方はあの時私を救ってくれた唯一の存在。なら、今度は自分が貴方を救おう。



『ニコル、お前も来ていたのか』

イザークが医務室へと入ると、ニコルがキョロキョロと病室内を見回していた。 また管や針が散乱していて、寝てるべき人物の居ないベッドは抜け殻になっている。 イザークがベッドを触ると随分前にこの場を後にしたのかひんやりとしていた。

『またか。あの女は・・・』

イザークもニコルが探しているものが分かった。
二度目となれば流石にピンとくるものだ。

『で、はどうした?アスランも発ったし、行くところなんてそうないだろ』

溜息交じりにしゃがんで管を拾い集める。 これだけ散らかしているくせに点滴などの機材はしっかりとOFFになっているのを見ると、 メカニックならではの職業病からなのだろう。 出会った始めからまったく捉え難い彼女に、イザークは更に溜息を吐く。

『それが、さんも、さんの荷物も全て無いんです』
『・・・は?』

イザークが耳を疑う言葉に眉を寄せて聞き返すと、ニコルは声を震わせながらゆっくりと振り向いた。 その顔は蒼褪めて、を心配していると一目見た自分にも分かる。

『あいつ、まだ動くだけで痛む筈の傷で、何処に行くって言うんだ』
『分かりません・・・』

それから、二人が何処を探しても次の日になっても、の姿を見つける事は出来なかった。