≫涙が枯れる時には、終わりの無い悪夢もきっと終わるのだと信じて (09.01.16)


僕が帰って来た時に見た君の顔は、酷く蒼褪めていたね。



◆My love story◆



『アスラン!』

地球降下の任務が出たアスランがヴェサリウスの廊下を歩いていると、前方からラスティが駆け寄って来た。 休暇に入ってからは会っていなかったが、朗らかな表情から充実した休みを取れたのだろうと見てとれる。 アスランは笑って駆け寄る同僚へ手を上げて答えた。

『お前らこれから地球だってなー』
『ああ』

既に地球軌道上に居たヴェサリウスの窓からは青々とした地球が覗き、ラスティは綺麗に瞬くそれを優しい目で見つめていた。 先達てバルトフェルドが討たれたと連絡があり、クルーゼ率いる彼等は「オペレーション・スピットブレイク」の準備の為に地球降下命令が出ていたが、 残念ながらラスティはクルーゼ隊が再度宇宙へ帰って来た時の為にヴェサリウスで待機との事だった。

『あそこにはちゃんも居るんだな。会えるの楽しみだろ』

窓から眼を放しくるりとアスランへと振り向いたラスティが出した名前にアスランは一瞬驚いた顔をしたが、照れ臭そうに笑って頷く。

『・・・地球に降りたって聞いた時はちょっと驚いたけどな』

ニコルのピアノを聞きに行ったあの日の呼び出しがまさかそれだったとは、とアスランは溢す。 兵士でもない整備士の彼女が地球に降りる事なんて考えもしなかった。 しかし考えてみればXナンバーのメンテナンスをするには彼女が降りた方が良いに決まっている。 一番の適役だ。

『俺はヴェサリウスで仕事だけど、ちゃんに会ったら宜しく伝えてくれよな』
『ああ。分かった』

ラスティは何処か嬉しそうにするアスランの肩をぽん、と叩くと、その手に「頑張れ」と同僚の恋が上手く行くようにと気持ちを込めた。

『あれ?アスランとラスティじゃないですか』

こんな所で立ち話ですか、と不意に聞こえた声が続けた言葉に二人が振り返ると 少女のような笑顔を湛えたニコルが廊下を歩いていた。二人は笑みを持って返す。

『おー、ニコル』
『あれ?ラスティ。ラスティも行くんですか?』
『違うんだ、俺はヴェサリウスで仕事。俺も行ってみたかったなー、地球』
『そうですか・・・。残念ですね』

ラスティの顔を見て嬉しそうな表情を浮かべたニコルの言葉に、ラスティは口を尖らせて再度地球を見ると、 行けなかった美しいと一言だけで表せる存在に溜息をついた。 そんな行きたい気持ちが溢れているラスティと同じく、ニコルも地球を見て溜息を溢す。 此処に居る彼等はコーディネーターの第二世代目で、宇宙生まれの宇宙育ちだ。 自分達を生み出した大地を踏む事にニコルとラスティは想いを馳せた。

『・・・・・・』

アスランも地球を見る。 バルトフェルドと合流したイザークやディアッカと同様、あの戦いにはも居た事だろう。 表だって詳しい話は此方に届いてはいないが、討たれた戦艦の中に居た彼女は無事であっても無傷なのだろうか。 会えるのは嬉しい。けれど会うまでは心配でもある。 そして。

― キラ ―

一体今彼は何をしているのだろう。バルトフェルドを討って、今一体どのあたりに居るのだろうか。 アスランは複雑な思いで地球に浮かぶ陸地を見る。

『じゃあ、俺、行くから。お前ら気を付けて行けよー』
『ああ、またな』
『行ってきます』

アスランの前方から向かってきたと言う事はそれより先に行こうとしていたと言う事で、 つまりアスラン達とは反対方向に用があるラスティは名残惜しそうに踵を返すと、 足を止めていた時間を取り戻すように駆け足で仕事に戻った。



『そう言えばアスラン、先日は有難う御座いました』

ラスティを見送ったあと、ニコルがアスランと共に廊下を歩く際、にこやかに礼をする。 一瞬何の事かと考えたアスランだったが、なんとか思い出したらしく「あ」と小さく声を漏らした。

『いや・・・、良いコンサートだったよ』
『寝てませんでした?』

顔を覗きこむニコルに、図星を指されたアスランはギクリと胸を鳴らした。
地球に降りてしまったが話した事は無い、だろう、メールでも送りつけなければの話だが・・・。 けれどそう言った事をするような子ではない。と、なればあの席が演奏者から見えていたと言う事か。 確かに広いホールでは無かったが、演奏者から見て分かるほど自分は熟睡していたのだろうか。

『そ、そんな事はないよ』

慌ててそう返すがニコルの悪戯めいた顔が変わる事は無く、ムキになるアスランを笑った。
そしてふと、寂しそうな顔になる。

『・・・さん、元気ですかね』

ニコルはアスランがを想うとは知らない筈だ。 彼はガモフ撃沈の頃のを思い出して心配しているのだろう。 だから別に自分の気持ちを知った上で言ったわけじゃないけれど、ニコルの言葉はまたもアスランの胸を鳴らした。 ニコルが見下ろす地球。あそこには初めて愛おしいと思った彼女が居る。



ちゃんはどうした?』
『・・・機体の積み込みをした後、先に輸送機に乗ると言っていたからもう中に居るだろ』

イザークがジブラルタル基地へ帰る用意をしていると、ディアッカの方はもう既に支度を済ませていたようで、 手荷物片手に隣へと歩み寄って来た。 珍しくディアッカの支度が早かったのは、たった2日居ただけだが慣れない地球の宿舎は居心地が悪く、移動出来る事を心待ちにしていたからだ。 だからと言って帰るのはまたも重力に縛られた宿舎で、居慣れた宇宙にはまだまだ帰れそうもないのだが。 イザークもたいした荷物が無い分、目につくものを入れるだけでディアッカを待たす事無く直ぐに終わった。

『・・・あれからさ、ろくに笑ってくれなくなったな』

ぽつりとディアッカがイザークの後姿に語りかけると、イザークは小さく舌打ちを溢した。 あれから、とはバルトフェルドが討たれてからだ。 イザーク達も戦場へ出ていたが調整のされていないXナンバーでは働きらしい働きも出来ず、 みすみす"足つき"とストライクを逃がし、不機嫌に帰った時に見た彼女の顔は既にいつもと様子が違っていた。

いけ好かない感じの、死んだと聞いても最初は嘘だろうと思えるほど軽い冗談が似合う男だったが、嫌いだった分けではない。 だから自分達が砂に足を取られているうちにストライクにやられてしまったなんて、最初は驚かせたいだけだと思った。 けれどがそんな嘘をつく訳が無く、そのまま戦争を痛感したと無理に笑った彼女を見て、此方まで心が痛んだ。

『俺達も輸送機に乗るか』

イザークがそう言って立ち上がり振り向くと、向かう先に乗り込んでいる相手を思ってか、ディアッカは眉を下げて笑った。



『よう』
『あ、お疲れ様です・・・』

二人が輸送機に乗り込むと、少し後方になる窓側のシートに腰かけていたが元気の無い声を無理に出し、顔を上げた。 肩にはマイクロユニットの蝶がを気遣うように羽を休め、すっかり彼女のパートナーとして存在している。

イザークが声をかけようとするが、は一言終えた途端に視線を外しぼんやりと窓の外を見た。 生気の無いの心情は、イザーク達が思っていたより重症なのかもしれない。 イザークとディアッカは顔を見合わせた後、間隔をあけて、けれどの近くに腰を下ろした。

『・・・私、またお役に立てませんでした・・・』

暫くして、が小さな声を絞るように出した。 黙って座っていた二人はの方へ眼をやる。

『ガモフの時もそうだったんです。 私もあの時ジンで出てたんですけど、今回みたいに何の役に立てなくて・・・』

は相変わらず窓の外を見ていた。
生気の無い表情とは反対に手は服をぐっと掴み震え、力が入っているのが分かる。

『・・・まいったな。毎回こんなになってたんじゃ、戦争なんて出来ない』

悪戯に笑ったバルトフェルドと優しく話しかけてくれたアイシャが思い出され胸を熱くし、視界が段々と潤んできた。 守る為に戦うとアスランの言葉に賛同したくせに、自分はレセップスで何も出来ずただ居ただけの存在だった。 バルトフェルドにダコスタをサポートしろと命令されたからって、素直に従うんじゃなかった。 命令違反だと後で咎められても自分が感じた胸騒ぎを悟って何ででも良いから出撃してれば良かったんだ。

は軍人のくせに奇しくも悲しみに耽る自分を滑稽だと笑う。
軍人である以上、自分だけじゃなく周りだって変わらず死といつも隣合わせなのに、と。



『お前は戦争なんてしてないだろ』

浮かんで来る涙を堪えていると、イザークがの言葉を遮るように口を挟む。 がイザークを見ると彼は冷たいと思えるような表情だったが、ただ選ぶに難しい会話だっただけに緊張していただけのようだ。 イザークはコツリとブーツを鳴らすと、の隣へ腰掛けた。

『お前は最初から、嫌いだと言っていた。俺は聞いたぞ』

イザークの言葉に瞬いたの瞳から、パタリと涙が力強く握られた手に落ちて、イザークはそれを静かに見送った。

『・・・だったら、泣きたくもなるだろう』

イザークのその言葉に、の顔が段々と悲しみに彩られていく。

『・・・だからって、いちいち泣いても良いんですか・・・?』
『それは泣いて無い奴が言う事だ。もう涙が溢れているぞ』

そう言ってイザークはゆっくりと手を差し出し、軍人とは思えない細指での涙を拭うと、この表情を見たのは二度目だと気付く。
この女がこうやって泣くのは、いつも人の事を思ってだ。

『・・・すいません』
『構わん』
『・・・私はいつも慰めて貰うばかりだ・・・』

イザークはほぼ無表情で「駄目だな」と呟くを見ながら頭の片隅で一つの事を考えていた。
に影を落とすものが何なのか、誰だって分かる、と。

―それはストライクだ。
あいつがいなければ、コイツがこんな顔をする事は無かった。
あいつが現れず、この戦争を引っかき回さなければ。

『ストライク・・・』

イザークはに聞こえない程度の声で敵の名を呟くと、討ちとる決意を更に固めた。



『あらららら・・・?』

それを見ていたディアッカは入る隙が無かったな、と頬をかく。 珍しく優しい言葉を吐いている同僚と共に慰めの言葉をかけようと思い斜め後ろを振り向き見ると、イザークは今までに見た事の無い顔をしていた。 冷やかな表情が板についている彼なのに、今はほんのりと憂う眼差しが注がれているのは自分の目の錯覚では無いようだ。 ディアッカは「意外だ」と思いつつも何故か嬉しくなり、彼等には分からないようにと振り向き直したシートに隠れて小さく笑った。



それから、一度ジブラルタルへと帰って来た達は、割り当てられた宿舎へと移動した。 クルーゼ等が付くにはまだ日がある。休暇、とは言えないがゆっくりすると良いと配慮された部屋は今まで身を預けてきた場所より幾分広かった。 はほとんど中身の無い鞄を置き、やっと一息ついた自分が此方へ来て本当に仕事ばかりだった事を思い出す。 自分の仕事が増えたと言う事は、戦争そのものが悪化していると言う事だろう。

議会では既に次の作戦が決まっているようで、ジブラルタルの面々の慌ただしさから「オペレーション・スピットブレイク」の用意が着々と成されいるのが分かる。 「オペレーション・スピットブレイク」はプラント最高評議会のザラ率いる強硬派が採決を急いだ軍備拡張の作戦名だ。 唯一残っている地球軍のパナマ宇宙港を陥落させ、地球軍の増援部隊を宇宙に送れないようにし、 月にある本部を孤立させ地球軍を倒すのが目的らしい。

『強硬派・・・と言う事はエザリア様もこの作戦を推したって事か・・・』

エザリアはパトリック・ザラの補佐をしている。 ナチュラルを見下した意見を述べる事も多々あるが、けれどそれは戦争をする愚かな人物だけをさし、早く戦争を終わらせたいが為だと聞いている。

『お父さんが言ってただけだけど・・・』

これからは彼女もまた忙しい日々を送るのだろう。 イザークとの婚姻関係を解消する為にも一度話し合いをしたいのだが、今は難しそうだ。そもそも地球に居る時点では、会いに行く事すら敵わない。 は溜息を吐いて窓の外から見える宇宙に目をやった。



『ね、ちゃん、今良い?』

ふと聞こえた声に気付くと今度はコンコン、とドアが鳴った。その声はディアッカだろう。
はガタリと椅子から立ち上がると、急いでドアの方へと向かう。

『どうしました?―あ』

はドアを開けて驚いた。いつも赤服を纏っている彼が、私服を身に付けていた。 初めてみる私服に目をぱちくりとさせていると、ディアッカの後ろから現れた影に、はまた目を丸くする。
そこにはイザークまでもが私服で立っていた。

『外出許可取って来たんだ、これから出かけない?』

そう言うとディアッカはエレカの鍵をに見せた。 変わらず目を瞬かせていると、イザークが一歩前に出てきた。

『お前も着替えろ。軍服では目立つ』
『え、・・・えー??』

驚くにイザークが紙袋を突き付ける。中身には何処で手に入れて来たのか女物らしき服が入っていた。

『凄く恥ずかしい思いをして借りて来たんだ。行くよな?』
『・・・は、はい・・・』

久しぶりに見た威圧的な瞳に、はただ返事をするしかなかった。



それから三人はジブラルタル基地を出た。 基地はジブラルタル海峡を望める良港で、もともと海岸に沿ってあったのだが接海部分は港になっており、 軍艦やら輸送機やらが始終行き交かっていて穏やかではない。 其処から離れるように暫く走らせたエレカのお陰で、達はスペインの街並みを視界に入れる事が出来た。 基地の近くにあった全体的に石灰岩で出来た「ザ・ロック」と呼ばれる岩山が広がり、それが後方に見えた頃、が口を開いた。

『海、綺麗ですね』

ディアッカが運転するエレカの助手席に座っていたは、静かに口を開いた。

遥か昔、自分達の生まれたのはこの海からだった。 宇宙から見ていたように青々として、太陽の光が反射してそれはもう美しく壮大で。

『・・・綺麗・・・』

は同じ言葉を繰り返した。海を見ていたらそれしか出て来ない。

『ああ。綺麗だ』

イザークは後ろのシートに深く腰掛けながらの言葉に頷いた。 初めてゆっくり見る海は言葉では表しようがないのは彼も同じのようだ。

『・・・何にも考えられなくなりますね』

は力なく呆けた眼いっぱいに広がる海を見た。 本当に大地を血で染め上げている戦争をしているのかと思わせるほど透き通っている海。 誰が死んでも変わらず飛沫を上げる存在に今自分が置かれている状況を忘れさせられた。

『それで良いんだよ』

次にディアッカが横に居るをちらりと見やって口を開いた。

ちゃん、考え過ぎだからさ』
『ディアッカ・・・』
『また笑ってよ。じゃなきゃ皆が何の為に死んでいったか分からない。 人は人が笑える世界を作る為に戦ってるんだ』

そこでやっと、は気付いた。
此処へ来たのは自分を元気づけてくれる為だったと言う事に。

『は、はは・・・』
『え?何で笑うのさ?俺今良い事言わなかった?』

ディアッカは肩を竦めて手で顔を覆うを見た。
全然面白い事言って無いんだけど、と付け足すと後ろから「柄じゃないからだろ」とツンとした声がかかる。 それは此処に居るお前も同じだろと眉を寄せたが、すぐディアッカの表情は確かにそうかもしれないと気付き苦笑いに変わる。

『違うんです、違うの』

は目頭が熱くなるのを感じて顔を覆った手を離す事が出来ない。
二人はそれを察知したのか、これ以上は何も言わなかった。

『明日からは、また、いつものようになりますから・・・』

だから今は、今だけは

『もう一度だけ泣かせて下さい』

変わらずエレカは海沿いを走る。
余りにも小さなの声は、寄せては返す波音に吸い込まれた。