≫たゆたうのは肩に留まる蝶なのか、それとも (08.12.24)


会って最初に驚いたのは、その顔の傷。包帯が取れたとディアッカには聞いていたが、綺麗な顔を大胆に横切る傷の事までは教えてくれていなかった。 プラントの医学技術は申し分なく、綺麗に消せる筈なのにどうして消さないのか、と喉まで出かかったがはハッと気づいて言葉を呑み込んだ。 プライドの高いイザークの事だ、分かったは野暮な事は口にしない。

そうだ、これは、彼の決意なのだ。



◆My love story◆



『どうしました?デュエルの調整はもう少しかかりますけど・・・』
『・・・ああ』

小型のコンピューターを取りに一度外しただったが、調整を続けようと早々に格納庫に帰って来ると 作業員の合間に赤い軍服を纏った異質の人物がメンテナンス・ベッドに収納されたデュエルを一人、見上げていた。 は近づきデュエルに視線を寄せるイザークに恐る恐る話しかけるが彼は目を合わす事は無く、鋭い表情を見るとが見ても分かる程、ストライクに対する意志の現れが表に出ていた。

『す、直ぐ終わらせますから』

真剣過ぎる目がデュエルから離れる事は無い。はクレーンに飛び乗り、コクピットへと急いだ。 これ以上話しかけてもきっと話は出来ないだろう。だって彼の中では大方自分を地球へと落としたストライクとのシミュレーションが始まっていると伺える。 そう思ってちらりと見ると、イザークの大きな傷跡に目が行く。

『あの、』

徐々に上がっていくクレーンから身を乗り出してイザークへと声をかけると、 ぴくりと眉を動かして顔を上げるイザークの傷がくっきりと遠目でも分かる事からやっぱり深かったと気付く。 は一度口を噤んだが、心配の方が先行し、気に障っても、と声をかけた。

『・・・もう大丈夫なんですか?傷』
『ああ。痛みもない』

の考えは余計だったようだ。イザークは軽く頷き、思った以上に普通に返してくれた。 ただ、視線を合わせないのは本人の中でまだシミュレーションを考えているからだろうと見える。

実際が考えた通りで、イザークは頭の中でストライクとの戦闘を思い返していた。 まだ素人の戦い方をするが、だが着実に力を付けて来ているストライク。 それはエリートパイロットのイザークと戦い、他の死線をも潜りぬけて来ただけはあるのかもしれないが、イザークにそれを知る由は無い。 イザークはぎり、と歯を噛む。

『じゃあ、ゆっくりしてて下さい。あとは私に任せて』

にこりと微笑むとはクレーンからデュエルのコクピットへと降りた。 そしてシートにどかりと座るとキーボードを引き出しコンピューターとデュエルのコンソールを肩にかけていた配線で繋ぐ。 イザークはがコクピットへと消えるのを見送るとくるりと言われた通り背を向けて格納庫を後にした。

『・・・と、言ってもスパークした部分の回線に限ってかなり面倒だったりして・・・』

状況を把握したは混雑したシステムに溜息を洩らす。が、腕まくりをしてキーボードを取り出すと、よし、と気合を入れた。



『ジブラルタルも結構人数居るんだなー』
『そうだな。此処の基地は地球にある中でも広い敷地面積だからな』

ジブラルタル基地内の廊下をキョロキョロと見回しながらのディアッカを先頭にイザークは食堂へ入る。 全面的に大きな窓が設置されている事から眼に入る野外は既に陽も暮れ、食堂内には訓練、または作業の終わった軍人たちが集まり、 一日の疲れを癒すように他愛の無い会話を楽しんでいた。

「ほら、あれ・・・」
「俺「赤」着てる奴初めて見たよ」

彼等の合間を縫って歩くと、此処の基地では「赤」が珍しいのか、二人を見てちらほらと囁いているのが見える。 確かに宇宙に居る彼等こそがエリートなのだ。だがイザークは彼等を一瞥すると五月蠅い視線に小さく舌打ちをした。

「なぁなぁ、そう言えば宇宙から来たあの子、凄かったな?」
「ああ、って言ったっけ?」
「お前、見たか?あの子の調整。簡単にし始めたけどあんなOS俺らには無理だろー」
「やっぱ宇宙に居る「赤」達と言い、整備士までもエリートなんだな」
「あんなんがソラにはいっぱい居るのかよ。同じコーディネーターと思えねぇな」

二人が席に着くと後ろのテーブルから話し声が届いた。 耳を傾けると後ろのテーブルだけじゃない、彼等は普段接する事の出来ない宇宙からの来訪者の話題で持ち切りだ。

『お、ちゃんの話してるな』

ディアッカは聞こえる声に反応する。自分達が好奇の目で見られる事は昔からで何ら気にしていないようだ。 今までも自分達の親は議員だの資産家の集まりだのとただ存在しているだけで視線を集めて来た。 赤服に選ばれてそれが一層増したが、だからと言って彼等の何が変わる事は無かった。だから反応したのはの名前に、だ。

『俺たちだって彼女の能力には敵わないって教えてあげた方が良いか?』

ディアッカが皮肉的な笑いを浮かべつつ話しているのをイザークはちらりと見て、まったくどうもおしゃべりの好きな奴だと嘆息する。 おまけに、と後ろに居るの奴等を筆頭に地球に居る彼等にも更に舌打ちを吐く。

「あの子さ、可愛くなかった?」
「あ、俺も思った。移動する前に声かけてみる?」
「お前には無理だろー」

『おお、基地内をそう歩き回ってないのに人気だなー。な、イザーク』
『・・・何故俺に聞く』

ディアッカとしては話に入ってこないイザークに対して話を振ったつもりだが、イザークにはそれが分からなかったようだ。 ひんやりとした声で返すとそっぽを向き、ディアッカはつつき難い同僚に苦笑いを浮かべる。

『ちっ・・・』

そう言ったものの、その名前を聞くと少し気にかかる。 急に泣いたり笑ったり、ぼんやりしたと思えば凄い能力を発揮して闘ったり。 こんなのは今までにあれ程までの訳の分からない奴に出会った事が無かったからだろうが。

『そう言えば、ちゃん、来ないな』

そんな事を考えていると、ディアッカがぽつりと口を開いた。

『あ?』
『だって此処のエリアの食堂は一つだろ?今日は到着時に会って以来ずっと姿見ないから』

彼等はジブラルタルで手伝い程度の作業をしていたので色々と基地内をうろついていたりはしたが、彼女の事は一切見ていない。 いつも忙しなく動いているを思い出し、心配ながらディアッカは思わずふっと笑みを溢した。

『もしかして・・・』

それと同時に、イザークは席を立った。 座ったばかりなのにどうして、とディアッカはイザークを見上げるが、さっと立ったイザークは何故か食堂の出口へと向かっている。

『おい、イザーク。飯は?』
『先に食ってろ』

間髪入れずに答えたイザークの振り向かずに走り去る背中にディアッカは顔を顰めては肩を竦めた。



『やっぱり・・・』

しん、と静まり返った格納庫はほとんどの電気が落ちていて暗闇が辺りを包む。 その中に一つ、ぼんやりと光を放つ場所があった。デュエルのコクピットだ。 イザークは溜息を一つ吐くと傍にあったクレーンを使ってデュエルの上部へと移動する。

コクピットを覗くと、随分と散らかっていた。ケーブルやら小型コンピューターやら何かのメモやら。 ガモフに居た時に覗いた彼女の整然としていた部屋を思い出すと、作業している時にこんなにも散らかすなんて考えられない程で、 それはやっぱり急いでくれたから、なのだろうかと思ってしまう。

その中心に居るは、右側を下にしながらうつ伏せになって顔が半分しか見えない。 が、小さな寝息を立てているので状況は分かる、完全に寝ている。 呆れて言葉が出ないイザークは目を皿のようにしてを見た。

『なんて・・・』

なんて暢気な顔なんだ。口は半開きだし寝息は子供みたいだ。 こんな顔を見ると切迫していた自分に嘆息してしまう。 宇宙から此処へ下りた事で更に決意を固めた自分が居るのにコイツは緊張感に欠けると言うかなんというか。

『―いや、違うか・・・』



今朝、自分の顔に大きく残る傷を見て驚いたを思い出す。

『・・・だから、なんだろうな。お前がこうやってデュエルを整備するのは・・・』

地球降下してからずっと此処で作業していたのだろう。デュエルもバスターも彼女一人でメンテナンスしていた筈だ。 朝に来てもうこんなに日が暮れている。と、言う事はどれ位の時間が経っていた? あれからだと考えたら疲れて此処で寝てしまってたとしても文句の一つも言ってやれない。

『ん・・・』

ピクリ、と指が動いたに、イザークは思わず後ずさる。 しかしただ小さく声を漏らしただけで、はもう一度深い眠りを報せる寝息を吹き返した。

『驚かせるな、馬鹿め』

ほ、と胸を撫で下ろし、イザークがちゃんと寝ているかと確認しようと覗いた其処で、ふと気付いたものがある。 うつ伏せになるの白い手には小さな傷が沢山あった。

『気付かなかったな、今まで散々顔を見合せていたのに』

今まで沢山のMSの整備をしてるうちについてしまったのだろうか。 女とも言えど整備士となれば力仕事も沢山するし、色々な工具を使う事だって多々ある。 白い白い手に残る傷は新しいものからだいぶ前についたらしいものもあり、後者は痕が残りもう消えないのだろう。

『・・・小さな』

イザークは無意識に呟いて無意識に伸ばした手でそっと傷を撫でる。

『小さな、手なのにな』

視線をへと移すと、あの時に涙を湛えたを思い出す。自分の手が紅いと、眉を寄せたを。 肩を抱いた時に見せた胸が痛くなる程の瞳。沢山の顔を見せて来た彼女だけれどあの顔は一番衝撃的だったかもしれない。 間の抜けた所に苛々するけれど、あんな整備士知った事かと言いたいけれど、切ない顔の彼女を知っているのは自分だけ、だと思う。 だから、どうしてもほっておけないと。



『おぁ?!』

急にひらりと舞い寄るマイクロユニットの蝶にイザークは驚いた。 そしてデュエルのモニターの光を集める白い羽はひらひらとイザークの周りを回っての肩に留まる。 今まで何処に身を潜めていたのかと首を傾げていると、

『あれ、イザーク?』

が目を覚ました。

『ああッ。すいません!私寝てましたね。ごめんなさい。まだ終わってないんです!』

寝ぼけ眼だっただったが、珍しくぼんやりな頭が瞬時に現状を理解したらしい。 まぁ、ここまで散らかったコクピット内なら何処を見ても作業している途中だと言う事が視界に入り理解出来るだろうが。 そんな事をイザークが思っているとわたわたと散らばるメモを取りケーブルを引きペンを掻き集めた。

『・・・合流は26日だ。それまでに間に合えば良い』

纏まらない道具を胸一杯に抱えたの動きがイザークの言葉にピタリと止まった。 そして何て言った?と今にも言いそうな感じを醸し出している。 イザークはその顔に思わず呆れて笑顔が漏れた。何なんだ、コイツ。

『・・・飯、食いに行くぞ』

きょとんとした顔、もう何度見た事か。イザークの顔は更に笑顔をへと変わる。

『・・・私も?一緒に?・・・良いんですか?』
『行くぞ、と言ってるんだ』

そう言ってイザークはコクピットに座るへと手を差し出した。 は抱え持っていた道具をバラリ、と落とした事で我に返り、立ち上がろうと慌ててキーボードをしまう。 コンピューターをシートに置き、周りに散乱した道具類やケーブルを避けていると一度肩で羽を休めた蝶が再度羽ばたく。

『ほら、腹が減るとそうやって頭の回転も悪くなる。効率よく作業したかったら飯を食え』

イザークはその危なっかしい動きを見て口をつく。
ほっておけないのは彼女の深いところだけでは無いようだ。

『・・・はい!』

は向けられた笑顔に笑みを返すと、差し出されたイザークの手を取ってコクピットを後にする。 そしてひらりと舞う蝶が、食堂へと向かう二人の後を追いかけた。