≫ひらりひらりと舞い羽ばたくは君だと思った、だから僕は (08.12.12)


正直、ニコルから演奏会の招待状を貰った時は戸惑った。確かに行きたいと言ったのは自分自身だけれど、 でも今までの自分はそんな所に行った事も無いし、一緒に行く人も居なかったから。 着る服だって砕けすぎてなければ何でも言われたけど「何でも」って何だ。 昨晩から迷ってやっと手にしたワンピースに袖を通すと、奇しくも久しぶりに自分が女の子だったと実感する。

『ラウってホント忙しいんだから』

"足つき"を地球に逃がしてしまった事でクルーゼにはプラント本国から収集命令が出ていた。 大方また評議会に尋問されに行くのだろう。にやりとまるで悪びれた様子もなく笑った彼はに笑顔を向けてヴェサリウスを降りて行った事を思い出す。
折角本国へと帰れたのに呼び出しだなんて、相変わらず忙しい人だ。

『こう言う時に、大人なラウに一緒に居て欲しいのにな』

そう呟いて周りを見回すと、ぞろぞろと小奇麗な格好をした人々がの後ろに位置する音楽ホールへと足を運んでいる。 彼等は色取り取りのスーツを着用したり、ひらひらと揺れるドレスを身に纏ったりしていて、両目に映るそれには顔を顰める。

『何でも良いって・・・、ニコルの嘘ツキ』



◆My love story◆



『お待たせ・・・!』

息を切らしたアスランが人ごみを掻き分けてへと駆け寄って来た。
大きな柱に身を預けていたがその声にぱっと顔を上げる。 慣れない場所で一人待つのは少しだけ心細かったものだから、彼の到着を待ち侘びていた。 今日此処に来る事に戸惑った自分の背中を押してくれたのは、彼、アスラン。 一緒に行く人が居れば行った事の無い自分でも心強く行けると思った。

しかしはアスランを見てまた一度、顔を顰める。 闇色のスーツに、深い緑のチーフを胸元に差した彼は同じ緑色のタイをしていて、見ている此方が姿勢を正してしまいそうだ。 そう、アスランもちゃっかり正装をしているではないか。

『ごめん。その、待った?』

アスランは慌てて声をかける。 一瞬笑顔を作ってくれたかと思ったの顔が、今は些かむくれている。 と待ち合わせをしていた事で昨日は良く寝れなかったが、だからと言って遅刻したわけではない。 むしろ時間より早く来たがそれよりも先に待っていたを待たせた事で機嫌を悪くさせたかと顔色を伺うアスランだが、は違うと直ぐに首を横に振った。 そしてアスラン共々周りを指さして、一つ。

『何でも良いって言ったくせに、何で正装してるんですか?』

ぷくり、と膨れた頬を見てきょとん、とアスランの顔が固まった。 コンサートなのだからそれなりの恰好と言うものがあるのは誰でも分かっていると思っていたアスランはの服装を見る。 膝上までの可愛らしいフリルのついた柔らかい白色のワンピースで、今日この場所へ居るのに特に問題はない。 寧ろ可愛い。アスランとしては「こんな格好見れてラッキーだ」位に思っている。が、もしかしたら少し子供っぽくは見れるかもしれない。 けれど騒ぐほどの事では無いのだから気にする事もないのに、と首を傾げた。

『・・・さ、オーケストラとか聞きに行った事無いの?』
『ありませんよ。研究室から出たのだってそう無いんですから』
『え?それって・・・』
『父がMSの開発メンバーって言ったのは覚えてますか? ずっと研究室に籠りっきりだったのでアカデミーに行くまでは一緒に研究室生活でした。 卒業後は直ぐ配属されてしまいましたし、そうそう時間無くて』

苦笑いするとは反対に、アスランは眉を寄せた。そして以前目にした沢山の論文を思い起こす。 壁一面に並べられていた本の数々。 あれは確か彼女が書いたと言っていた。籠りっきりと言っていた彼女は何処にも行く事が出来ず、それが唯一の楽しみだったのか。 喜々として機械に触れる事を好きだと言っていたが、それしかなかったから、そうなったのでは。 そう思うと胸がぎゅ、と締め付けられたがアスランは顔に出さないようにと気をつけた。

『・・・でも、楽しい時間もあっただろ?』

アスランは胸元に飾られたチーフを手に取り、の首元に巻きつけた。小さなアクセントになったそれは服装を気にするへの心遣い。 柱の向こうにある大きな窓ガラスにを映してそっと笑った。 アイテム一つで少しだけ大人っぽくなったは、自分を見て眼を輝かせるとアスランに有難うと満面の笑みを返す。

『はい。研究するのって楽しかったですよ。それに』

会場へと足を運び始めた二人は、人ごみの中をゆっくりと歩いている。
それはアスランがの歩幅に合わせているからで、時々の足元を見た。

『今は皆さんと一緒に居られるから、それがもっと楽しいです』

戦争中に不謹慎ですけど、と付け加えたは靴のヒールを鳴らした。 此処を擦れ違う人たちはこんな可愛いらしい子がMSのメンテナンスをし、時にパイロットスーツを着て戦っているとはとても思えないだろう。 それ位、普通の女の子なのだ。なのに。

『・・・戦争が終わったら、また何処か行こう』
『本当ですか!?絶対、約束ですよ?』
『ああ。絶対だ』

アスランはを見て優しく優しく笑った。少しでも笑ってくれる時間があったらそれだけで良いのだ。 自分が笑わせてあげられるなら尚更良い。こうやって、ほんの少しでも。

『あー、でも』

やんわりと笑うアスランとは反対に、は眉を寄せる。
アスランがどうしたのかと問う前には口を開いた。

『婚約者さんが居るのに、それは不味い、かな?』
『婚約者??』
『そうです。ラクス・クラインですよ。14日の「血のバレンタイン」追悼式典行けなくて残念でしたね』
『・・・いや、良いんだ』

そりゃ、口にして教えはしなかったが自分とラクス・クラインの婚約は周知の事実だし今更否定する気はないけれど、彼女にそう断言されると心が痛む。 なんら気にしていないだろう顔は自分に対しての気持を物語っているのが分かる。 とほほ、と項垂れながらも、だったら、とアスランはついでの口を開いた。

『・・・の方こそ、クルーゼ隊長に悪いんじゃないか?』
『え?私とラウ?あ、クルーゼ隊長ですか?やめて下さい』
『やめてって・・・』
『私達はそう言うんじゃないんです。戦友、って感じなんですよ。それより・・・』

イザークの事の方が。
はアスランに聞こえないように呟いた。 彼は婚約は破棄してくれて構わないと言ってくれたが忙しいエザリアにはその報告が未だ出来ずにいた。

勿論プラントに帰って来てからエザリアに会えないかと連絡を取ったが忙しい彼女には時間が無いと言う。 今、ビクトリア陥落後の議会は「オペレーション・ウロボロス」の強化について慌ただしく問答を繰り返しているらしい。 クライン議長と強硬路線を取るザラ国防委員長の意見対立が表面化しそうなんだと聞いた。 だからと言って会えない彼女に言葉だけで断るのは礼儀知らずのようで、それは自分自身も嫌だ。

『それより?』
『いえ、何でも無いです。兎に角私に相手は居ませんから』

イザークの事が頭を掠めるも、は有りえない、とぶんぶんと頭の上で手を振り払った。 元々何でも無い相手なのだから気にしなくても良いだろう。此方が気にしたとしても今頃彼はすっかり自分を忘れて地球にいるに違いない。 自分達はそれ程の仲なのだ。

『そうか・・・』

その時、アスランは無表情を装っていたが、心の中はポンポン、と小さな花を順々に咲かせていた。 想う相手が居ないと言う事は、自分にだってチャンスがあるわけだ。 クルーゼ隊長には負けるかも、と思っていたが、そうではなかった。なら、と、今自分が立たせられている立場も忘れて。



会場内に入ると既にほとんどの席に客が座っている。こじんまりとした200人弱を収容するホールだったが天井は高く反響板の質も良い。 招待された席に腰を下ろし繊細な細工を施された壁を辿って二階席にも目をやってはほぅ、と溜息を溢す。

『とても綺麗な場所ですね』
『ニコルにはぴったりの会場だな』

隣に座るアスランに身を寄せて、こそりと話す。アスランはその距離にどきりと身を竦め、 それを隠すように小さく頷いた。 は飽きもせず周りを見回して居るとそろそろ開演に近づいているらしく段々と照明が落ちてきた。 しっかりと座り直してニコルの出番を待つ。それが何だかとても楽しい。 こうやって何処かへ誰かと来たのは初めてだ。だからだろうか。

そうこうしているうちに開演のブザーが鳴り、小さな声で話していた客席がしん、と静まり返った。 ポツリとスポットライトだけがステージを射し主役の出番を待つ。 はドキドキと胸を鳴らしてニコルが出てくるのを見ていた。すると、客席が拍手で沸く。ニコルが出てきたのだ。

燕尾服を着たニコルが、優美な笑顔を湛えながら中央に置かれたグランドピアノの横へと立ち、 会場内を右から左へと見渡して一礼をすると、また拍手が大きくなった。 そして片手に持っていた楽譜を置くと、静かに席に着く。 人々の視線を集めてもリラックスしている彼はゆっくりと鍵盤に手を置いた。

会場にはニコルの性格を物語る優しい旋律が響く。
表情豊かな音楽はいつもの辛い戦いを忘れさせてくれるほど心を慈しみ、時折微笑むニコルの顔は、純粋に素敵だと思う。 彼の姿を見ての瞳がより煌めき、アスランはそんなを、目を細めて見る。そして、



―それから先の事を、アスランは全く覚えていなかった。



『―スラン、アスラン!』

に肩を揺さぶられ、眠たいままの目を開き覚ました時に見えたのは、客席にぽつりぽつりと人が残るだけの風景。 あれだけ席が埋まっていたのに一瞬にしてどうして―、と思ったが即座に理解出来た。

『え?あっ、俺・・・!』

ガタリ、と慌てて席を立つと後ろまでも見回す。 そして手を頭に当てて天井を仰いだ。
―失敗だ。完全に、寝ていた。

『だいぶ気持ち良さそうでしたよ。でも終わっちゃいましたのでもう此処は出ないと』

何て事だ。初めて彼女と出かけられたのに寝てしまうとは。 こんな姿見られて恥ずかしい。
しかし笑みを湛えてちょこんと隣に座るは何も思っていないのか、アスランの様子を見て立ち上がると、さて行きますかと席を立った。が、 アスランは夢の世界へ旅立っていたものだからイマイチ足もとがおぼつかない。 ゆっくりと通路を確認しながらを追いかけた。

『お、俺、どうも音楽は苦手で』
『へぇ、アスランにも苦手なものなんてあるんですね。資料を見る限り何でも出来ると思っていたので意外です』
『何でもなんて、そんな事無いよ。絵も苦手、自分で言うのもなんだけど、本当に酷いんだ』

寝ていた事を誤魔化す会話をしながらホールを後にするが、くすくすと笑い続けるの顔に溜息を溢す。だって、その顔、絶対寝ていた事を笑っているんだ。 と待ち合わせをする事で緊張して昨晩良く寝れなかった、なんて、そんな言い訳したらもっと笑われるだろう。 アスランは言葉を出せないでいる口を尖らせた。

『そうだ、。渡したいものがあるんだ』
『へ?』

驚いて眼が覚めたお陰で頭まで覚めたのか、突然思いついたアスランは、はっと顔を上げる。前々から約束していたものが、完成した、と笑顔で。 丁度足を進めていた二人はアスランのエレカに到着し、彼は何やらゴソゴソと車の中を漁り出す。 その間は首を傾げてアスランを見た。



『おっと』

アスランの小さな声が漏れた途端、それは良く晴れた空へ浮かぶ太陽へと向かって飛んで行き、は視線を追わせる。 白く眩しい光に目を細めると、それは軌跡を描いての周りへと降りてきた。

『これ・・・マイクロユニット・・・』
『ああ、ソフトのお礼だ。前に約束しただろう?』

ひらりひらりと羽ばたくそれは太陽の色のように白く光る。

『うぁあ、ちょうだ、蝶々』

キラキラと光を反射する蝶はとても美しく、がうっとりと溜息を洩らしながら手を差し出すと、人差し指にひらりと止まった。

『綺麗・・・』

の笑みを湛えながら蝶を眺める顔を見て、綺麗なのは君の方だよ。 と、お決まりのくさいセリフが脳裏に浮かんだ。 心が吸い込まれそうな煌いた表情にアスランは、うっかりそう言ってしまいそうになるのを堪える。 言った自分を想像しただけで流石に恥ずかしい。 気を立て直すかのように咳払いを一つして、エレカに手をかけた。

『家まで送るよ。何処?』
『えっと・・・』

そう言いかけた時、のバックから聞き慣れた機械音が聞こえた。 アスランも良く知っている軍から支給されている連絡用のリストウォッチだ。 はそれを取り出すと顔を顰めた。

『あらら。軍から呼び出しです。アスランは宿舎へは戻らないんでしょう?』
『ああ、でも送るよ』
『結構ですよ。此処から遠いわけじゃないし』
『・・・そうか。じゃあ、気を付けて』

残念、と思ったけれど此処で食い下がってまで「送る」と言うのも男として頂けない。 周りを見てもまだ暗い時間でも無いし、理由が無い。それに女の子の一人歩きは危険と言っても彼女の強さなら然程問題無いかもしれない。 本当は帰り道の会話を少しばかり期待していたものだから、がっかりした事を巧く隠せたかどうか分からないけれど、視線を逸らして眼が泳いでいるのを誤魔化した。

『今日は色々と有難う御座いました。蝶々、大事にしますね』
『俺こそ。えと、寝ちゃって・・・ごめん』
『いいえ』

は微かに笑うと一歩前に出て、アスランの顔を覗き込む。 その動きにふわり、と一度飛んだ蝶はゆっくりとの肩に止まって小さく羽を動かした。
アスランは近くに寄ったの顔を見て、ピタリと息が止まる。

『新しい貴方を知れて、楽しかったですから』
『―え?』
『じゃあ』

そう言ってはひらりと身を返した。その後をマイクロユニットが追いかける。 スカートのフリルが風に舞い、やっぱり彼女は蝶のようだ。 アスランはぽかんと開いた口そのままにそんな事を考えた。 そしてその蝶は何処かにある蜜を蓄えた華を探す為に、優雅に歩き出す。

『・・・新しい、俺・・・?』

後姿を愛おしそうに眺めていたアスランは、口元から自然に零れてくる笑みをどうしても隠せず、手で顔を覆うようにしてエレカに乗り込んだ。



カツカツカツ、とヒールを鳴らしたは、先程とは違う真剣な顔で廊下を歩く。 周りを舞い追いかけていたマイクロユニットは廊下から照らされる照明を反射して白くキラキラと光り、の肩に留まった。 そして無機質なドアの前で止まると右手で二回ほどノックをする。中から艶やかな声が聞こえて来たのを確認すると、は颯爽と中へ入った。

『おや?今日は何か特別な事でもあったのかね?』

入ってすぐ眼に入る大きなデスクを前に腰かけたクルーゼが、書類片手に頬杖をついていて、入ってきたの恰好ををちらりと見て笑う。 此方は休日だと言うのにこの人はまた軍服を身に付けて、本当に忙しい人だとは思った。 しかし本人はそう気にしていないようで、読み終えた書類をポンと、デスクへと置いた。

『ニコルのコンサートに行って来たの。とっても素敵だった』
『そうか、反芻しているところ悪いが、に頼みたい事があってな』
『何?』
『地球へ、降りて貰いたい。仕事だ』

先日、大気圏突入を単機でこなしたデュエルとバスターは摩擦熱の負担でターミナルは勿論のこと、コクピットのコンソール部分までやられたようだ。 通信端末の修理までは済んだのだが、二機の通信回線は見るからに複雑で、誰もが元の回線を解読出来ず修理に戸惑っているらしい。 はクルーゼの言葉に頷く。

『了解』
『シャトルは用意しておく。明朝、ジブラルタル基地へ出発だ』
『で?私もこっちへ帰って来るの未定?』
『そうだな。私もじきに地球へ降りる』
『そう、分かった。用はお終い?』
『ああ。必要なものはシャトルに積んである』
『じゃあ、部屋で出発の用意してるから何かあったらまた通信してね』

クルーゼが頷いたのを確認し、用件が済んだらなら、とはドアを開けて廊下へと出た。
明朝出発なら、そんなに時間があるわけではない。これからの予定をどうしようかと考えていると、マイクロユニットがひらひらとの周りを舞い回る。



『あ、チーフ返すの忘れちゃった』

蝶が羽ばたき、首に巻かれたチーフが揺れる。
深い緑のチーフはアスランの瞳の色のように鮮やかだ。

『・・・寝てたの、ニコルには内緒にしなきゃね』

このチーフの持ち主、今日のアスランの事を思い出して、は小さく微笑んだ。