≫ 信じられないとばかりの瞳は鋭く (08.10.03)
彼女の眼に映るその日の彼は、随分不機嫌な様子だった。
空を見るところによると天気が悪いわけでも、
午前にあった彼の所属する軍での訓練が巧くいかなかったわけでもない。
だから機嫌が悪いのは「随分」では無いわけだ。
けれど「癖」と言っても良い程よく顰められる眉を ―今日もただ相変わらずであるだけなのだが―
初めて目の前にした人物はそうだと感じない。 ただ何も知らない人物には、
その怪訝しい表情の理由は自分だけが悪いのだろうかと錯覚させる。
『あの・・・、えと・・・』
・はそれを初めて目の当たりにし、
「ええぇ・・・?」と声を漏らしたけれど精一杯の引き攣った笑みを作る。
こんな不自然な笑い方、目の前に座る彼には失礼だと分かってはいるのだが、
それしか声に出せない位に彼、イザーク・ジュールからの近寄り難いオーラを感じ取っているのだった。
◆My love story◆
が腰掛けるのは、プラントにある一宿泊施設の、つまりはホテルのラウンジ。
これでもかと言うほど高い天井には細かい彫刻と、これでもかと言うほど余裕のあるテーブルやソファの配置。
ふわふわで優雅なデザインのソファに座り周りを見渡せば、
植物までご丁寧に植え飾ってあり、それらに木陰を作られるとついつい室内と言う事を忘れさせられる。
そのラウンジの中央には小高く位置するスペースがあり、綺麗な女の人が一人ハープを奏でていた。
彼女の細い手から鳴り響く音色は辺り一帯を優しく包み込む。
『居心地悪い・・・』
一通り見廻し辺りを理解したは、これだけのものが揃った空間だと逆にバツが悪いと嘆息する。
だから居心地が悪いのは目の前に座る仏頂面をした彼のせいだけではない、と言う事をしっかり付け加えておこう。
だって彼女の隣やそこらに座っているのは最高評議会議員や軍の上官クラスであり、
此処はその彼等が利用する程敷居の高いホテルだからだ。
こうやって目の前に出された紅茶のお会計は、一体幾らなのだろうか。
『で?何なんだ、貴様は』
『なっ・・・??』
急に放たれた言葉に、は対応しきれず思わず目をぱちくりとさせた。
目の前に座るプラチナブロンドの髪を靡かせた彼は、今何と。
『母上に呼ばれて来てみれば、貴様が居た。何も話さず俺の前に座って、一体何のつもりだ』
イザークから放たれた言葉の後、薄い青色の瞳が鋭く歪み、唖然としているに突き刺さる。
『え?それは私も同じなんですけど・・・』
『は?』
『・・・・・』
の言葉に少しだけ面を食らった顔をしたが、直ぐに理解したのだろう。
より強く鋭い視線を投げかけたと思えば、目の前に座るイザークはふいっとそっぽを向いてしまった。
「ちっ」と、聞こえる様にだろうか、彼はの前で舌打ちをする。
『ちょっと!貴方ねぇ』
『何だ?』
『・・・いや、何でもないです・・・』
イザークは不機嫌極まりない顔で且つ、即座にの言葉に冷たく返す。
はそれを見て本当は腹が立ったのだが、
バツが悪いのはイザークも一緒なのだろうと大きく深呼吸をしては時には我慢も必要だと受け流した。
共に此処に呼ばれたのは彼の母親、エザリア・ジュールの計らいだ。
彼女が宿泊するこのホテルで会おうと、エザリア自身から各々に伝えられたらしいが
忙しい彼女が指定の時間に来る事は出来ず、今に至る。
『はぁ』
今度はが聞こえる様に声を漏らす。
しかし、余りにも無意識に出た溜息なのでこれはやばいと慌てて口を塞いだが
そっぽを見ている彼は気にも止めて居ないようだった。
手持無沙汰になったは、テーブルに置かれた紅茶に手を伸ばす。
唇にあたるカップまで多少冷めているのは、意外にも時間が進んでいたのだと言う事だ。
ならばエザリアが来ないのならそろそろ席を立っても大丈夫だろうかと、頭の中で考える。
こんなに居心地悪く待たされるのなら最初から連絡を貰えたら、そう、日を改めて貰えるのが一番良かったのだが。
そんなこんなを考えているその時、やっと待ちに待った彼女の声が聞こえた。
『イザーク、! ごめんなさい。待たせてしまって』
救いの神、エザリアの声だ。後ろに何人もの黒スーツの男達を従え、彼女が此方へ歩いて来る。
ふと、右手をあげるとその者達を静止して、自分だけがテーブルへ近づく。
それを見届けたが先に挨拶する前にイザークは「母上」と声を荒げ勢いを込めて立ち上がり、
タイミングを外したの視線はエザリアからイザークへと運ばれた。
『誰なんですか、コイツは』
コイツ、とは何だコイツとは。
は口をへの字にして彼を見る。同じ様に相手を誰なのかと思っているのはお互い様だろうに。
『まぁ、二人とも掛けて』
察知、してくれたのだろうか。
ふふふ、と笑うエザリアは二人に座れと白い手で椅子を指し、
そして自分も腰かけた。ゆったりと座る彼女の物腰に、と渋々顔のイザークも静かに着席する。
『時間が無いから簡潔に言います。今日貴方達に此処に来てもらったのは他でも無い「婚姻統制」の事よ』
『なん・・・ですって?・・・あっ!』
はエザリアの言葉に思わず言葉を口にしてしまった。 その反応にイザークがをまたもや睨む。
「婚姻統制」とはプラントが行っている第三世代のコーディネーター出生率を上げる政策の一つである。
親が婚約者を決め結婚をする事、それは一般的な事柄であり、
ジュール家の様な地位も資産もある家なら尚更の事だ。
『・・・そんな事だろうとは思いましたが』
イザークは溜息交じりに言葉を吐く。
その顔から胸の内は分からないが、自分の置かれた立場上もう仕方ないと諦めているのだろうか。
『イザーク、。こんな形でしか時間を取れなくて悪かったわ。
でも私が居ないところで合うよりも、今の方がと思って。
それに婚約者の、お互いの顔くらい知っていても良いでしょう?』
エザリアは柔らかい笑みで二人を見る。
顔だけを知っていても仕方ないのでは、とは思ったが、そんな顔をされたら言い返す事なんて出来ない。
そもそも、彼等にはそんな権限も無く、反対を貫く事も出来ないけれど。
『、話の流れから分かったと思うけど、この子が私の息子のイザークです。
今はザフトの軍人で、赤服を纏っています』
エザリアの言葉の後、はイザークを見る。
母親が現れたからと言って、の前に座る彼の態度は変わらなかった。
目も合わせず不機嫌を前面に出しているその顔は、宜しくの声も掛け難い。
『イザーク、こちらは・。今はザフトのメカニックを担当してる整備士です。
おそらく近い場で仕事をしてると思いますが、軍施設の格納庫でお会いになった事は・・・まだないですか?』
『整備士!?』
エザリアが淡々と話す内容に、イザークの眼は細くなり疑問符を浮かべた。
『整備士風情と、何故俺が』
整備士風情だとう? はまたも心の中でツッこむ。
一応一生懸命勉強してきた中で身につけたスキルなのだが、
エリートな彼には一介のそれにしか思えないのは分かる。
けど、「コイツ」に引き続き「風情」とはなんだ。彼は失礼と言う言葉を知らないのか。
『イザーク、貴方は知らないかもしれないけど、は優秀なのですよ。
きっと将来、家庭の事だけでなく貴方の力になってくれる筈です』
『母上俺は・・・』
『エザリア様』
イザークが話しを続ける前に、黒スーツの男が一人、
いつ近づいたのかも分からないほど静かにエザリアの後方から耳打ちする。
男の言葉にエザリアが二、三頷くと急に顔が険しくなった。
『そう・・・。カオシュンの没落は、時間の問題ね』
別に聞き耳立てた訳ではないが、エザリアの声が二人に届く。
イザークとの顔もまた違った色を潜め、静かにエザリアが話し終わるのを見ていた。
『ごめんなさい。急に会議が入ってしまいました。また場所を改めるので、追って連絡します』
『母上』
『イザーク、もしかしたら貴方にも軍から連絡があるかもしれないですわね。その時は気をつけて』
そう残すと、エザリアはイザークの言葉も聞かず足早にその場を去ってしまった。
議員が身に纏う裾の長いコートから翻され漂う甘い香りだけ残して。
『・・・・・』
『・・・・・』
二人は無言に颯爽と現れては去った背中を見送っていた。
エザリアが視界から消えると、イザークは大きく息を吐き椅子に腰深く座り、肘掛に寄り掛かかる。
そしてを彼らしい威圧的な瞳で見た。
『は、ハジメマシテ』
は乾いた笑みを作ってそう言うしかなかった。
急で認め難いとはいえ、今形なりとも婚約者になったのだ。
こちらが少しでも下手に出ないと、と。
『俺は認めないからな』
『え?』
イザークは席を立つ。
その伸びた背は彼の髪と同じ様に真っ直ぐで、はそちらに視線を奪われた。
それはただ言葉の意味が分からなかったのではなくて。
『母上が勝手に婚約しただけだ。だが、俺は貴様なんかを婚約者としては認めない』
思ったより高いイザークの背に合わせて視線を上げると、まるで瞳は刃の様にを貫く。
説得力のある瞳に射抜かれると、距離を置き座っている体でも硬く緊張する。
『ふん』
凍りつくからぶっきら棒に顔を背けると、イザークは足早に歩き出した。
もう用事が済んだのなら、此処に居る必要は無いと判断したのだろう。
カツカツと鳴らす靴の音が、段々遠くなる。
『見合わないのは分かってるけど・・・』
イザークの凛とした後ろ姿が消えた頃、はただ、そう小さく呟くのだった。