≫翳す両翼は紅く染まり舞降る虚無感が胸に棘を落とす (08.11.12)


『おい、目を通したぞ。デュエルの追加装備はいつになるんだ?』

いつもの様に専用のコンピューターに向かって作業していたは後方からかけられた声に振り向いては驚いた。 つんと刺すような声は聞き慣れたものではなく、一瞬誰のものか分からず当り前の様に振り向けば、 まさか此処まで来る事があるとは思えない人物、イザークがパイロットスーツを纏って立っているではないか。

『アルテミス攻撃の際には間に合わないんだろ?』
『はい。すいません・・・』

考えもつかなかったイザークの登場に、はぽかりと口を開いて間の抜けた声で答えた。



◆My love story◆



『別に責める為に来たわけではない』

キーボードを叩くの手が完全に止まったのが分かったイザークは、溜息ながらに歩み寄る。

デュエルの追加装備の詳細はデータに目を通した頃を見計らって自身がイザークの所へ行こうと思っていた。 意外なイザークの行動に呆然としてしまい、ろくに思考と体が動かない。 の頭の中では、少々混乱もしているのか自分が後去るイメージだけが広がる。 実行に移したいと思うがなかなかの驚きに固まった身体は付いてこなかった。 そんな事を考えているうちに座るの隣にイザークが立つ。ぎこちなく顔をあげ恐る恐るイザークを見た。

『ブリッツにはミラージュコロイドが搭載されているみたいだな』

あれ?とは思った。 前回逃がさないとまで言われたからそれもふまえて構えていたのに彼から出てきた言葉はただ機体の話だ。 ミラージュコロイドとは可視光線を歪めレーダー波を吸収するガス状物質を展開し、 それを磁場で機体の周囲に引きつける事で自身を隠す事が出来る機能である。 奪取した時にデータを吸い出す際にが発見した。
イザークがここに訪れた理由はアルテミスへの出撃が決まっているからか、とは安堵しほっと息を吐く。

『そうなんです。ステルスシステムがついてたんですよ。 地球軍もなかなか面白い事しますよね。時間にしたら八十分位しか持ちませんが、 距離をとったガモフからアルテミスへ行くまでの時間位だったら問題無いでしょう』

イザークは作戦を練る上で他機の事まで確認しに来たのだろうか。 熱心と言うか賢明と言うか、流石エリートになるだけはある、と気を抜いて一人頷いたその時。

『お前は出ないのか?』

イザークが冷やかな視線を落としてきた。

『で、出ないって?』
『ジンで、だ。この前みたいに』

は恐ろしい位綺麗なイザークの瞳に睨まれて折角解凍されつつあった身体を再度凍らせた。 デスクに寄り掛かり腕を組むイザークはやっぱり逃がさないの精神で此処に居る様である。

『この前はクルーゼ隊長に映像入手を頼まれて、出てただけですから』
『ジンであんなに健闘したくせに、よく言う』
『整備士やってたら―・・・』
『やってても普通は出来ないだろ』

イザークは組む腕をゆっくりとほどきを見る。 その表情に言葉を遮られたは冷徹な声色に息を呑んだ。

『訓練しなければあんな動きは出来ない。 それに、幾らコーディネーターとは言えジンの出来上がったOSを その場に最も合ったものに書き換えながら戦闘なんてもっての他だ』
『それは、私が研究が好きで、親から貰って身につけた知識ですから』

はたしてそうかな、とイザークは疑いの眼差しを向ける。 ちゃんとの事を知ろうとしているのだが、態度の出し方がぶっきら棒なのは彼の性格のせいか。 怯えられてはなかなか口を開きにくいと言うのも分からないらしい。

『戦争が嫌いなお前が、戦闘の知識をか?』

イザークの的を得た言葉にの顔が一瞬にして強張る。

『それは・・・』
『言え。はぐらかし逃げるのは止めろ』
『!!』

はイザークから自分の両手へ視線を落としじっと見た。 あの日の事から、この紅く染まった手でも逃げないとそう誓ったではないか。 顔を上げたは、視線をイザークへ合わせたまま席を立った。

『あの日、血のバレンタインの日、私も出撃していました。・・・今の様に、戦艦に乗って』
『お前が?』

ピクリとイザークの眉が寄せられる。 血のバレンタインは自分がザフトに入るほんの少し前の出来事だ。 それに参戦してたとすれば、もしかしては自分より年上なのではないかとの考えが過る。 急に大人びて見える背中が振り返り、はイザークを見て微かに微笑んだ。

『私も虐げられた世界から独立出来たらって思ってました。 父がMS開発の選抜チームに居たって言いましたよね? お陰でMSでの戦闘の知識も身に付けていて・・・、あの日まで戦場に』

しっかり視線を合わせていたの瞳は、ゆっくりと横へ外れた。 壁にかかる小型の時計を見てる瞳は、あの日からの時間の経過を感じているのだろうか。

『でも、目の前でユニウス・セブンが破壊されて考え方が変わりました。 それでプラント自体は士気を上げたみたいですけど、 私は逆に殺がれてしまって』

イザークは黙っての言葉を聞いていた。 こんなに饒舌に話をされるとは思っていなかったのが正直なところだが、話してくれたからには、と姿勢を正して。

『研究や開発などの作業が好きですから、クルーゼ隊長の計らいもあって軍には残りましたが、 兵器を整備しているって言う事実から自分は逃げてました。 戦場から居なくなっても加担している身、戦争をしている点は同じですよね』

逸れていた視線がイザークへ戻り、はニコリと微笑んだ。

『有難う御座います。イザーク。貴方が分からせてくれました』
『・・・俺は礼を言われる様な事は言っていない』
『いいえ。有難う御座います』

は首を振ってイザークへと礼をする。 すると、積み上げられていたディスクに肘があたりバランスを崩したその中の幾枚かが勢いに任せて宙に舞う。 こんな時、無重力であって良かったと思う。 重力地帯であったらガシャンと音をたてて派手に散らばっていた事だろう。

『あっ、すいません』
『間抜けめ。気をつけろ』

苦笑いを作ったに呆れた女だと言葉を吐いて、イザークは溜息交じりにディスクを取ろうと手を出した。 それが反射的に手を伸ばしたの手と重なりディスクではなく細くて小さな手を掴んでしまう。 思ったよりひんやりとして冷たい手は異性の手なんてろくに触った事のないイザークに驚きを教えた。

『わ、悪いっ』
『触らないで!』

不意に出たの強い言葉に、イザークはさっと手を引っ込めた。 急に触れた手が嫌だったのだろうか。は険しい顔をしている。 そう言われずとも自分は慣れない感触に戸惑っていた為、放したのだけれど。 でも、イザークが考えていた事とは違った様で、 は払い除けた自分の手に目をやり、眼前に持って来てはその手をじっと見つめている。 それを見ていたイザークがおい、と声をかけようにも 時々出されるあの圧力を何故か今感じ、言葉をかける事が躊躇われた。

『わたしの手は紅く汚れている。
 ・・・この紅い手が綺麗に洗われる日は、二度と来ない』

の眼には何かが見えているのだろうが、イザークには見当もつかない。 整備している機体が殺めている命を、それともこれから殺める命を憂いているのだろうか。 をしっかり見ても、無表情で不思議な気を身に纏っている彼女の心情は分からない。 でも。

『わっ?!』

思い煩うの手をイザークが掴み、その手をくるりと回しての目の前に突き出す。

『大丈夫だ。お前の手は汚れてない』

何処かへ意識が飛んでいたは、イザークの行動に目を見開いた。 イザークの細腕がぐいっと引く強さは、自責の念に呑まれる自分を引き止めてくれたようで。

『今のプラントにはお前が必要なんだ。お前がする事に罪は一つもない。本当にこの手が紅いか?ちゃんと見ろ』
『私が・・・必要?』
『お前・・・』

やっぱり、真っ直ぐな人だと言葉だけからでも垣間見える。 そんなイザークを見ていると徐々に瞳に熱を感じ、自分の視界が次第に揺らぐのが分かる。 泣いては駄目だ、我慢しなければ、と溢れそうになる涙を耐えるに気付いたイザークはピタリと動きが止まった。 の手を力強く握った訳じゃないけれど、もしかして自分が思うより相手は痛く感じているのだろうか。 いや、そうじゃない。 今度はこの前と何処か違う所を見ていて無表情に涙をしたためていた顔とは違うのだから。

自分を見て眉を寄せて泣くのを堪えている顔。いつも色々な表情を見せたのこんな顔は初めてだ。 掴みどころの無い女の筈だったが自分の目に映る表情を前にしてようやく 素直に今だけだが彼女の抱える気持ちが分かると言える。



イザークは、初めての名を呼ぶ。その声は意外にも優しく、温かい。 自分で意識したわけでもないのだが普段の威勢のいい声は、 肩を震わせながら瞳を涙でいっぱいにしている相手には出す事が出来ず、 視線まで柔らかいものに変わりつつある。
細く華奢な身体が涙を耐えてている姿はイザークの胸に何かを落とし、彼の手をゆっくりと動かさせた。

『泣くな』

イザークはの震える右肩に片手を置いた。 声と同じ位優しく添えられた手は、の我慢を砕く。イザークと目を合わせた途端に、一気に流れ出す涙。 イザークは少々驚いたが心を乱す事無くを見つめて、少しでも心軽く出来ないものかと身体を自分に引き寄せた。 引かれたはパイロットスーツの無機質な感触に目を閉じる。

『イザーク。・・・私、本当は・・・』

「イザーク・ジュール、ディアッカ・エルスマン。至急甲板へ集合せよ。繰り返す―・・・」



が何か言いかけるが艦内アナウンスが流れ、イザークは我に帰ったとばかりにパッと手を放し離れた。 そして部屋一帯と開いたドアから見える廊下までをキョロキョロと見回す。 が居たのは専用の部屋だから誰かに見られる事は無いだろうけれど、 無意識にしてしまった行動のせいで余所にまで気が行って無かったものだから心配になる。

『呼ばれてますね』

反対に、アナウンスの声で冷静さを取り戻したがイザークを振り向く。 涙を拭うが瞳はまだ潤っていて、感情の余韻が残る顔にイザークは何処か後ろ髪が引かれる思いになった。 しかし。

『・・・アルテミスの傘が閉じたのかもしれないな』

イザークも平静を保とうと目を泳がせる。 このまま涙に滲むの顔を普段の自分で見ていられそうにはない。 気まずい思いを悟られないように「急がなければ」と一言加え、の部屋を後にしようとドアへ向かった。

『すいません。忙しいのに』
『・・・いや、じゃあ』

ドアで一度振り返ると、笑顔を浮かべたがイザークに礼をする。 その顔を見てぎこちなく頷くと廊下へと向き直り、トン、と思い切り地を蹴った。

『・・・俺、何をしてた?』

足早に廊下を進むイザークはアナウンスが流れなかったら、と自分自身を問う。 けれど、これ以上考えたい様で考えたくないのが本音だ。全く無意識の自分は一体何をしてくれたんだ。 まだ柔らかな感触が残る手を握っては開き、忙しい艦内でゆったりとした時間が取れる事が無いのをこれ幸いと思った。

『・・・良いのかな』

は頬に手をあててイザークの言葉を思い出す。 小さく笑みが零れるのは彼が気休めだとしても、温かい言葉をくれたお陰。

『あれ?あれ?』

は首を傾げる。何故か同時に優しく肩を抱いて貰った事も脳裏を掠めた。 ―あれ?自分は一体何をしていたのだろう?



イザークが艦橋へ着いた頃、ディアッカはもうデッキで外部の様子を見ていた。 映されたアルテミスの状態を見て、イザークはディアッカへと駆け寄る。

『やはり、"傘"は閉じた様だな』

ガモフが当該宙域から外れて暫くした後、 モニターに映るアルテミスはシールドが解かれ小惑星全体が剥き出しになっている事から確認出来る。 接近防空圏内に敵艦がないとなると、光波防御帯を閉じる要塞。今が攻撃の機会だ。

『もうニコルが出る。・・・ちぇっ』

舌打ちするディアッカは自分も一緒に行きたいのだと態度で示す。 残念ながら視覚的にもレーダーにも映らないミラージュコロイドを搭載しているのはブリッツのみで、 機影が確認されてしまうバスターとデュエルの出番はブリッツが攻撃を開始した頃だ。 イザークは仕方ないだろ、とソファに腰かける。 「地球軍も姑息な物を作る」とブリッツが出撃するのを見ながら鼻で笑った。ディアッカもそれに頷く。

『まぁ、俺等がストライクを討てれば良いさ』
『そうだな』

イザークとディアッカはお互いを見てにやりと笑い合うとヘルメットをかぶり、 それぞれの機体に乗り込むと起動を行い管制官の発進アナウンスを待つ。



―アルテミス陥落は、それから直ぐの事だった。