The die is cast. (14/04/09)




きっかけは ほんの些細な事でも



第一次ビクトリア攻防戦が失敗に終わり、 赤道封鎖作戦「オペレーション・ウロボロス」の発動が決定した頃、 相も変わらずまだ一度も内側から開けられない扉を目の前にクルーゼは立っていた。 いつもならすんなりとノックをしてその扉の中へと入るのだが、 今日は暫し考え事をしているようで、顎に手を当てて床に視線を落とす。

『兎に角、今は言葉をかけるしかないか・・・』

しかし、纏まらない考えに己で首を横に振り、視線を上げて溜息を吐く。 あれから、時折ふらりと立つだけだったは、
一ヶ月と言う時間とクルーゼの面会により少し心軽くなったのだろうか、 短い会話程度なら出来るようになった。 けれど表情はまだ何の色も付けない。 毎日通いつめてはいるが、短時間だ。 それではたいした変化が見らないのも確かなのだが、そろそろクルーゼも手を焼いている自分に気付いていた。 もう少し時間があれば良いのだが「血のバレンタイン」以降ザフトは報復を信念に、 日々会議や訓練に追われ個人的な余裕が無い。

扉の前で立ち尽くしても何の意味もないと悟ったクルーゼは、いつものようにノックをして中へと入った。



『おはよう、

極力優しい声色で挨拶をすると、椅子にひっそりと、静かに座っている人影を見つけた。 彼女がベッドから出てこうしているのは珍しい。 クルーゼはほう、と微々たる変化に小さく声を漏らすと、 ブーツ独特の小高い音を鳴らして対面にある椅子へと近づいた。

『幾分調子が良さそうだな。気分はどうだ?』

声をかけられても虚ろな瞳は何処を見ているのか分からず、 他の人間から見ればクルーゼが言う「気分が良さそう」と言う表現は些か不適切だと感じるだろう。 しかしほんの少しでもいつもとは違う変化があるだけで十分だ。 人形のように塞ぎ込んでしまった彼女にとっては、大きな変化。

そう思っているクルーゼが口の端を上げて笑っていると少しだけ、の視線が動いた。 今日は更に反応がある、そう思ったクルーゼは手をかけていた椅子を引いての前に座った。

『窓の外を見たかね?今日も良い天気だ』
『・・・ん』

当たり前の事を言っている、とクルーゼは自分でも思った。 見えるのは一面管理されている人工の空で、雨が降る時は決まっておりそれを誰もが知っている。 勿論コロニー育ちのも同じだ。けれどは声を出して応答した。 ここまで反応するをクルーゼはこのまま惹きつけられたら、と思い ほんの少しだけ身体を乗り出しの顔を覗き込む。不意に二人の視線が重なり合った。

『・・・この部屋からは出たか?』
『・・・いや』

無表情の男と、無表情の女。 何の温かみも持たない二人の視線は、逸らされる事なくしっかりと合わさったまま。 この部屋に入る者が居たらこの瞬間をどう思うだろう。 ただただ静かで無機質な部屋の中に置物のように在る二人は、 ここで、初めて、そしてゆっくりと会話を始めた。



『何か好きなものでも見つけたらどうかね?』
『・・・好きなもの・・・?』

クルーゼがそう言うと、ピクリとの睫毛が動いた。
それを横目にクルーゼは再度窓の外を見る。見れば広がる敷地内に、黄色く小さな花が一つ。

『例えば・・・、趣味だな。君も女性なのだから花、とか。 ほら、あそこに蒲公英が咲いているよ。元々プラントには無いものらしい。 地球から物資などに紛れて流れてきたそうだ。流石雑草だな。強かなものだ。強かで、美しい』
『・・・興味無い』

穏やかな風に吹かれる蒲公英を見ても、の冷めた瞳は相変わらず虚ろだ。 たった一本だったが、ゆらゆらと不規則に揺れる黄色い花は見事に咲き、視線を集めても可笑しくない。 しかしそんな事では彼女の心に何も落とさなかったのか、簡素な言葉で跳ね返されてしまった。

『ふむ・・・。それなら本はどうか?この施設には大きな図書室がある』

クルーゼは片手を顎に置いて考えながら問う。彼女の為の考えなんて、実際自分には無い。
ずっとの事は同じ戦場に立つ者としては認識していたし、実力を知りその力と共に戦で翔けた事もあった。 けれどプライベートの彼女なんて知らない。知る必要なんて無いと思っていたし、今もそう思っている。 だから適当に、ただ此処にある独特の施設の名を上げたのだが、 が顔を上げた事でクルーゼの表情が少し変わった。

『大きな、図書室・・・?』
『そうだ。君の専門分野の資料や文献も揃っていると聞いたぞ。連れて行ってやろう。さあ、おいで』

今が少しずつ彼女を変えるきっかけかもしれない。
クルーゼは強引にの手を引くと、ドアの外へ出るよう促す。
通常の女性を扱うようにしていたつもりが、 心身が弱って軽くなってしまった彼女の身体は優しく引かなければ舞うようによろめいてしまう。 クルーゼは彼なりに優しく、とても優しくの手を取り、支えるようゆっくりと歩き出した。



図書室に着いた途端、は瞳を瞬かせ辺り一面を眺めた。
見渡す室内、天井にまで高く収納された本、真ん中吹き抜け、数階建ての図書室。 「大きな」とクルーゼが言ったように、確かに大きな図書室だ。 いや、もう「図書館」と言った方が正しいだろう。 余りにも高く、広く展示されている本に、の足は自然と動いた。

そこで、クルーゼはいつもと違った息をそっと吐く。 それはきっと安堵。 ここ一ヶ月間、大して知りもしない、 興味もない女をどうしたら元気に出来るのだろうかと少なからず頭を悩ませていたのだから。

『ここは24時間ずっと開放されている。好きなだけ居たまえ』

だからと言ってここで焦ってはいけない。 徐々に彼女の心を開き、更に入っていかなければならないのだから。 以前の隙のないであれば無理だったろうが、今の弱った彼女なら出来る筈。 邪魔になるだろう両親も、仲間も、都合よく地球軍が始末してくれた。

を残し、クルーゼは図書室を後にした。



沢山の、本当に沢山の本に囲まれ、は少し戸惑った。 迷う事はない、時間は沢山ある。ただ、自分が好きなものを読めば良いのだろう。 前ならばきっと一目散に駆け、本を手にすることが出来ただろう。 けれど今はどうしていいのか、何が読みたいのかが分からない。 好きなものに囲まれていると言う実感はあるのに。

胸が、苦しくなる。

考えたいのに考えられない。
考えなければならないのに、思考が追いつかない。

頭を抱えるように視線を下げると、図書の項目が目に入った。
植物関連の棚らしい。

例えば・・・、趣味だな。君も女性なのだから花、とか。
ほら、あそこに蒲公英が咲いているよ。


ふとクルーゼの言葉が頭を掠める。
は分厚い図鑑を手に取るとぱらりぱらりと静かに捲り始めた。

『蒲公英・・・』

考えてみれば花になんて一度も興味を示した事はなかった。
綺麗だ、とか、可愛い、とか思わない事もなかったが。

図鑑には特徴、文化、利用方法、様々な事柄が細かく書かれている。

『神のお告げ、神託・・・。思わせぶり、軽率、軽薄・・・』

その中には、花言葉も。



『・・・何だ、それは』

呆れた声を漏らすとは手にある本をまるで捨ててしまうかのような手付きで元の場所へと戻した。





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